あなたの「人間力」の大きさは? 上廣榮治(うえひろえいじ)

 
釣り好きの会友がこんな話をしてくれました。彼が読んだ本に、釣りと「人間力」にかかわる話が載っていて、とても興味深かったというのです。それは、ある大学の先生が、息子とカナダに釣りに出かけたときの話だそうです。

 バンクーバーに着いた次の日、先生親子は大自然の中で釣り糸をたれていました。しかし、どういうわけか二人ともさっぱり釣れません。そのときです。一匹の鮭が川の中から大きく空中に跳ね、勢いあまって河原に落ちてきたのです。すると、すぐそばで釣りをしていたカナダ人一家の少年が駆け寄って、その鮭を小さな体で抱え上げました。驚いたのはその後のことでした。少年はその鮭を当然クーラーボックスに入れるものとばかり思っていたら、鮭をそのまま川に逃がしてやったのです。

 それを見ていた息子が「ああ、もったいない」とつぶやきました。先生も、少年が近くにいる父親に相談もせず、何のためらいもなく鮭を川に逃がしたことに驚き、考えさせられました。

 なぜ少年は鮭を逃がしたのか……。鮭が川を泳ぎ、人が釣ろうとしているときは、鮭と人間との真剣勝で人間と鮭とは対等です。でも、川から飛び出してしまった鮭はもう逃げられない。自分と対等ではなくなった鮭を捕まえることはフェアではない。少年はとっさにそう判断したのだろうと彼は考えなした。

 息子ではなく自分であっても、もし鮭が足元にに落ちてきたなら「しめた」と思ったにちがいない。この少年に比べて自分はなんと浅はかな大人かと、情けなく思ったのでした。おそらく、この少年の家庭では、日頃から、生きていくうえで大切なことは何か、何を基準に行動すべきか。生命とどう向き合っていくべきかなどをを、ことあるごとに話し合う努力を惜しまなかった「にちがいありません。

 だからこそ少年は、即座に鮭を逃がすことができたのだろうというのが彼の推測でした。たしかに、この少年の行動は、鮭をどうすべきかを考えた結果の行動ではありません。もっと無意識の、むしろ条件反射に近い行動です。その意味では、彼の人間性そのものがそのように反応した、といってもよいでしょう。

 そして、その人間性はどのように養われたかといえば、多分、この話の主人公が推測したとおりだったのでしょう。

 「人間力」(人間として善く生きるための力)の基本は子どもの頃に家庭で形成されるというのは、ある小学校の校長先生です。しかし最近では、「のびのびと自由に育てる」ということを「子どものしたいようにさせる」ことだと勘違いしている親がたくさんいて。基本的な生活習慣や社会性を身につけていない児童がが多いと、彼は嘆きます。

 たしかに「人間力」の形成には・家庭で善悪の区別や節度を教え、暮らしの中でケジメを身につけさせることが不可欠です。なぜなら、ケジメをもたない人間は、とかく安易な方向に流れて、心の力を育むことはできないからです。

 ある幼稚園の園長さんのエッセイに、亡くなった父親の手紙が子どもの心の力を育んだ素敵な話がありました。それは、おおよそ次のような内容でした。

 ある日、十数年ぶりに、卒園児のK君が園を訪ねてきます。園長さんがK君をよく覚えていたのは、彼の在園中に、消防士だったお父さんが殉職したからでした。火事の現場に取り残された二人の子どもを救うために猛火の中へ飛び込んで、一人は助け出したものの、もう一人を助け出そうとして亡くなったのです。それ以来、K君は母一人子一人の家庭で育ってきたのです。

 久しぶりに会ったK君が、清々しい爽やかな青年に成長していたことに、園長さんは思わず涙ぐむほど感動します。両親がそろっていても、道を外れてしまう少年も多いのに、母一人子一人でよくぞ見事に成長してくれたという思いを伝えると、「僕が今あるのは、父が生前、僕に書いてくれた一通の遺言状のお陰です」と、思いがけない話を打ち明けてくれたのです。

K君のお父さんが亡くなったのは、おそらく三十代前半でしょう。その若さで息子への遺言状を書いていたことになります。

 「お父さんは消防士の仕事に誇りをもっています。でも、危険な仕事だから、いつ火の中で命を落とすかわかりません。だからこれを書いておきます。君がこれを読むとき、お父さんはもういません。だからこれから辛いことや困難なことがあっても、お父さんは君の力にはなってあげることができません。でも、君がしようと決めたことは、それをやり通しなさい。お父さんはいつも応援しています。大きくなったら、どんな仕事でもいいから、人のお役に立つことに責任と誇りをもって取り組んでほしい。お母さんを大切にして、悔いのない人生を歩んでください」、そんな内容だったと思います。

 この遺言状は、彼が中学生になった日、入学式の当日に、お母さんから手渡されたそうです。「ぼくは、この父の遺言状を、何度も読み返しました。そして、文章をいつも心の中にしまっておいて、何かあると、父ならこんなときにはどうするだろ、と問いかけながら、自分の進むべき道を決めてきました」とK君は話すのでした。

 また、お父さんが亡くなってからは、お母さんが折に触れて、お父さんはどういう人だったか、その考え方や生きざまを話して聞かせてくれたそうです。たしかにK君のお父さんは亡くなりましが彼の心の中では、いつまでも生きつづけています。

 お父さんの遺言状が、K君を「人間力」豊かな立派な社会人へと導いてくれたのです。K君のように子どもの頃「すべきこと」と「すべきでないこと」のケジメが身につくと、それが「人間力」のべースとなって、向上心と努力によって、「人間力」はどんどん大きくなってきます。なかでも、皆さんのように、日々倫理を実践する生活は「人間力」を養う生き方そのものです。

 では、「人間力」はどこに向かって大きくなっていくのでしょうか「人間力」の中心は「心の力」です。なかでも人と人とが助け合う「共助の力」こそ人間の本性で、その最たるものが「利他の実践」であることは、今年の年頭にお話させていただいたところです。

 暑ければ暑さもよし、寒ければ寒さもまたよし、雨も雪も有り難いと大肯定し、苦難は福の門として、随所に主となり、いつも上機嫌で人に尽くす。そんな実践者のあるべき姿が、どこまで実現できているか、できていないか。それがあなたの今の「人間力」の大きさです。もしも、至らぬところがあるのなら、至るようにするだけです。