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爾自神社=にじのじんじゃ 壱岐式内社。元禄8年の年号が石鳥居に刻まれ、石燈籠は寛文11年に献納され「伊勢詣りの道中安全祈願と成就の祈願講中十五人」の文字があります。昔から「伊勢国風宮」と御同体と言われています。 古称「東風大明神(こちだいみょうじん)」で、社記には「神功皇后が、三韓征伐の時に壱岐の島に着いたが順風が吹かず、風神を祀るこの地で祈ったところ、大石が二つに割れ東風が吹き出し、三韓に向かい勝ちどきを挙げることができた。 帰りに再び壱岐の島に立ち寄り、勝利の風に因んで「東風大明神」とした」とあります。対馬海峡を渡るには、東風が絶対の条件だったようです。 「神社考」に、「有安村の惣廟、東風大明神の所名を西とする、式内社爾自神社なり」とあり、聖母宮の西に位置することから「にし」が「にじ」と転じたと記されています。神石は古代信仰の神座を偲ばせる物です。 鎖国政策が取られていた江戸時代に、李朝鮮は日本にとって唯一の修好国で、将軍が替わる度に慶賀の使節として、朝鮮通信使が慶長12年(1607)以降12回訪れています。 「壱岐郷土誌」には、「亭保4年(1719)12月、朝鮮通使将軍吉宗襲職の帰り、逆風のために勝本に立ち寄る。停泊が長引くので、国主より有安『爾自神社』に命を伝え順風を祈願した」とあり、海上が時化で逗留が続くと財政が苦しくなるので、命令を受けた壱岐城代が必死に、東風石に順風祈願をしたと言われていま す。 延宝4年に、「爾自神社」と名を改められ、順風祈願の度に国主より大神楽や、夜神楽が奉納されていたようです。 縦約3・9m、横約3。35m、高さが約2・7m、周囲約11・45mで大きな割れ目がある東風石は、昔は宝殿の中に祀られていましたが、今は神社の後ろにあります。 【祭神】▽シナツヒコノカミ▽シナトベノカミ▽オキナガタラシヒメノミコト 【合祀】▽大神宮神社(大正5年8月)▽祖宣山神社▽立石神社▽神坂井神社▽国片主神社 【祭典】3月13日 |