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第十二夜 「汝みずからを知れ」

ここのところ毎晩つづけてストア派の哲学者たちのことばかり話してきたから、ローマの哲学といえば、諸君はこの学派だけが栄えたと思いはしないかと気になる。そんな次第で、今夜は少し趣向を変え「汝みずからを知れ」という題で話すことにする。

ところで二八一ぺージを見たまえ。これは東大の斎藤忍随君がヨーロッパ土産にくれたのだ。骸骨の下に書いてあるギリシア文字が、グノーチ・サウトソ、すなわち「汝みずからを知れ」だ。これをもらったときには、詳しいことはわからたかったが、その後同じく斎藤という友人の住友建設の社長さんが「古代文化」という雑誌を数冊くれた。その一冊にこれと同じ図版があって、大阪大学教授の角田文衛氏が「酒宴の骸骨」という小論を書いておられた。いまそれによって説明しよう。

この原物はローマの国立テルメ博物館の所蔵。黒色と白色の大理石のモザイックで、草原に横たわった遺骸を透視風に表現したものだ。もとは、「クイソチリウス邸」の食堂の床面を飾っていたものだが、一八六六年にその遺跡から発掘された。

そこはローマのアッピア門からその街道を六キロほど行った景勝の地にあって、昔のクイソチリゥス兄弟の別荘跡なのだ。この兄弟は夕べ話したアウレリゥスの武将だった。学問、用兵にすぐれ、史上まれな兄弟愛を互いにいだき、莫大な財産をもっていた。これらの長所がかえって身の禍を招き、アウレリウスの息子コムモズス皇帝から謀反の嫌疑を受け、ついにいっしょに殺されてしまった。

この別荘の中心部はハドリアヌス皇帝のころ建てられ、その後いく度か増築されたが、モザイック画そのものはその様式から推して二世紀の初めに製作されたと認められる、という。

そしてこのように骸骨をモチーフにしたモザイック画や酒杯の図柄は、一、二世紀の流行となっていたということだ。ところで、角田氏はセネカの話にも出たペトロニウスの作と言われる『サチュリコソ』1これは筑摩書房の世界文学大系の「古代文学集」に岩崎良三氏の訳があるが一それを参考にして次のように言っておられる。

「〈汝みずからを知れ〉とは哲学の始祖ターレスの言葉として伝えられている。しかし〈クイソチリウス邸〉の食堂の床に記された〈汝みずからを知れ〉は深遠な意味をもった箴言(しんげん)ではない。

つまりそれは〈汝みずからも死すべき者であることを知れ〉という警告であり、それゆえにこそ命のあるあいだにできるだけ愉んでおけというのである」と。そしてこうした考え方の底流をなしていたのは、当時のローマ世界に瀰漫(びまん)していた俗化されたニピクロス哲学であった、とされている。

さて、私は氏の所論に賛成する。エピクロス学派について言うと、始祖のあとで有名なのはキケロより十年ばかり前に死んだローマの詩人哲学者ルクレチゥスである。彼の生涯はよく知られていないが、その著『物の本質について』はエピクロス哲学のいわば聖典だ。

その後、紀元後二世紀ごろまでにその学派の哲学者として名前をあげるに値するようた者はオイノアソダのヂオゲネスとヂオゲニアノスの二人くらいだろう。でもその学派そのものが衰微していたわけではない。タベ見たように、アゥレリゥスは他の三つの学派と並んで、この学派のためにも国庫支給の講座を設定している。

またアゥレリゥスより以前のことだが、皇太后プロチナはハドリアヌス皇帝に対し、この学派のために格別の取り扱いをさえ願っているのだ。このことは前世紀末アテナイにおいて「風の塔」のそばで発掘された碑文によって始めて明らかにされた。この碑文にはプロチナの皇帝あての手紙とその返事およびプロチナのアテナイにおけるエピクロス学派あての手紙とが刻まれていた。

さきの二通はラテン語で、後の一通はギリシア語だ。日付けは百二十一年と推定される。最初の手紙は当時のエピクロス学派の学頭ポピリオス・テモチオスのために、学校所属の遺産相続に関しギリシア語で遺言状をしたためる権利と学頭の後継者をローマ市民以外の者からも選択する権利を願ったものである。

皇帝のはそれの許可。最後のはその許可を伝え、皇帝の美徳をたたえ、その仁慈に答えるため、後継者として学派の最善の人物を私心にもとづかず公平な立場から選ぶように忠告したものである。

これらの手紙を通じて新しく知り得られる事実も二、三あるが、いまは省くことにする。ただ当面の話との関係においてこの皇太后プロチナも自分自身をエピクロス学派の一員に数えていることだけは言っておかなければならない。それはローマの宮廷、あるいは貴族杜会におけるエピクロス学派の勢力についての指示となるだろう。

また『ヂオゲネス・ラエルチオス』に、エピクロス学派に関し「ほとんど他のすべての学派が絶えたのに、この学派の継承は永久に存続して、数知れない学頭を学校仲間のうちからつぎつぎに交代させている」という記述が見える。

これはギリシア哲学の権威ディールスによると、ちょうどこの時代のエピクロス学派に関して述べられているということだ。ほかにもまだ証拠を上げてこの学派の当時の隆盛を示すことができる。しかし、もう「汝みずからを知れ」に帰ろう。

この箴言(しんげん)は当時より約百年以前に生きていたローマの詩人オヴィヂゥスにおいてはかなり違った意味で利用されているのだ。彼の著作に『アルス・アマトリァ』すたわち『恋愛術』というのがある。この詩人の姿をしたアポルロソが現われてきて、こう言うのだ。

「淫奔(いんぽん)なる愛を説く師よ、いざ、おまえの弟子たちをわが神殿に導き来れ。各自おのれ自身を知るべしと命ぜるかの文字、かの世界にあまねく知れわたりたる文字のあるところへ。

おのれ自身を知る者にして、はじめて賢明たる愛はおこないうべし、またあらゆる仕事もおのれが力に応じて完了するなるべし。生来美貌に恵まれし者は、その点より眺められよ。色艶のよき肌をもちたる者は、ときに肩を裸にして横たわるべし」

以上は樋口氏の訳を拝借したが、あとは一というより全部を自分で読んで見るがよい。こ引用では、「汝みずからを知れ」は「汝みずからの身体の美点.長所を知れ」という意味に解され、その知った美点・所を恋人の獲得と確保のため利用せよ、と忠告しているのだ。

この『アルス・アマトリァ』を紀元前二年の作だとすると、それより四十二、三年前に書かれたキケロの『ツスクラヌム談義』においてもこの箴言がもち出されている。

そこではオヴィヂゥスととは反対に、それはわれわれの肢体や体格や容姿を知ることを命ずるのではたくて、「汝の魂を知れ」と命ずるものだと解されている。そして魂を知るということが神的なことだから、その箴言はある頭の鋭い人の作ったものだけれど、神に帰せられることになったという趣旨のことが述べられ、ついで魂の不滅の問題が論じられることになる。

しかしこのキケロの解釈はプラトンの『第一アルキビアデス』ですでに述べられていることだ。で、これから、あまり詳しく話す時間はないが、プラトンの他の解釈も見てみることにしよう。

彼の『プロタゴラス』では、この箴言は七賢人が相そろって、デルポイの神殿に詣でて彼らの知恵の初なりとして、「やり過ぎるな」という箴言といっしょにアポルロンに奉納したことになっている。

また『カルミデス』にも出てくる。この対話編では建全な思慮の徳、すたわち節制の定義が求められるのだが、ソクラテスの話相手のクリチアスがその定義の一つとして、「健全な思慮」とはこの箴言に言われているようなこと、つまり「自分自身を知ること」であると答え、その箴言を解釈してみせることにたる。

しかしその解釈は『第一アルキビアデス』の解釈との一致から見て、プラトンのものとしてさしつかえはあるまい。それにょると、この箴言を奉納した人は「ごきげんよう」という普通一般の挨拶を正しくないものと考えて、その挨拶の代わりに神様が参拝者へなさる挨拶として、この「汝みずからを知れ」を奉納したのであって、その意味は「思慮健全であれよ」というのと同一である。

しかし世間の人は別なものと思っているようだし、また「やり過ぎるな」「保証、その傍(かたわら)に破滅」という箴言を後に奉納した人たちも同じくそう思い、かつそれを忠告だと考え違いし、自分たちもそれに劣らぬ忠告を捧げるつもりでそうした、というのである。

しかし諸君にはおそらくその両者がどうして同一のことを意味するのか、すぐにはわかるまい。で、ちょっと説明しておこう。

『チマイオス』で「思慮の健全な」は「正気の」という意味で使用され、思慮の働きが睡眠によって、あるいは病気によって、あるいは神がかりによって拘束され、狂わされている心の状態と対立させられている。

つまり、いろんな種類の「狂気の」と反対の意味で使用され、そして「正気の」人のみ自分自身のことを行ない、自分自身を知ることができるという昔からの言葉が正しいものとして承認されている。

したがって「正気であること」は「自分自身を知ること」の必須の前提として、両者は同義だと主張されることになったのだろう。

次に「汝みずからを知れ」とソクラテスの「汝の無知たることを知れ」という勧告との関連も少少わかり難いかもしれぬ。プラトンは『ピレボス』でこういうようなことを言っている。神様が人間に「汝みずからを知れ」と命じられるのは、人間が自分自身を知らないからのことである。しかしこの自分自身についての無知は三種類ある。

その一つは金銭に関し、自分を自分の財産以上の金持だと思う場合、他の一つは身体に関し、自分を真実ありのまま以上に大きく美しいと思う場合、最後の一つは魂の徳に関し、事実そうでないのに、自分を徳のすぐれた者だと思う場合である。

この三つの場合は後にいくほど、そう思い違いする人数が多くなる。そして最後の場合は、権勢をもって影響力の強い者とそうでない者とがあるが、前者は憎むべき醜悪な者、後者は笑うべき滑稽な者である。

したがって右の関連において考えると、「汝みずからを知れ」は、「汝自身の無知を知れ」ということを意味することになるだろう。ところで、この箴言はさきの『プロタゴラス』では七賢人の合作ということになっていたが、また別の伝えでは七賢人の一人のタレス、あるいはキロンの作となっている。

また別の伝えもある。いま七賢人、あるいはその一人の作だとすると、そのときにおいてはどういう意味をもっていただろうか。

それを推定する資料はほとんどないので、確実なことは言えないようだ。私としては諸君に私の前編「哲学者の笑い」の第一夜の話を思い出すことをお願いする。「知恵のもっともすぐれた者」として自分に贈られてきた黄金の鼎(かなえ)をソロンは、「神こそ知恵のもっともすぐれたお方である」と言って、デルポイの神殿に奉納したというのである。

この関連において考えてみると、「汝みずからを知れ」はソクラテスが『弁明』において言っているように、もっとも賢いと言われる人間の知恵さえも神の知恵に比べれば、まったく取るに足らぬことを知れという意味になるだろう。

またプルタルコスの小論に『デルポイのEについて』というのがある。そこで、内殿の入口に掲げてあるこのギリシア文字エイについていろいろな解釈が述べられているが、そのうちのペリパトス学派のアムモニオスの解釈では、Eは「汝はある」という人間の神に対する挨拶である。そして表玄関に掲げてある「汝みずからを知れ」は逆に神から人間への挨拶である。

それは、ニイは二人称単数のエイすなわち、「汝はある」で、神が永遠の存在者であるということを意味するのに対し、人間は絶えず生成消滅する可死的存在者であることを言うものである、というのだ。プルタルコスといえば、紀元後一世紀ドミチアヌス皇帝治下、ローマで一時講義をしていたことがある。

絵葉書の文字が書かれる数十年前のことだ。したがってこの時代では世間一般の人々にはやはり「汝みずからを知れ」は「汝の可死的なる者であることを知れ」という意味にとられていたのだろう。

しかしその解釈からただちに「それゆえに生を享楽せよ」というエピクロス学派の結論は出てこない。二晩後に話すつもりにしているボエチウスの『哲学の慰め』でも、獄中に坤吟(しんぎん)する彼に「哲学」の化身によって「自分自身を知る」ことが勧められ、「実のところ、自己自らを知るときにかぎり他の諸物の上に卓越し、これに反して自己を知ることをやめれば動物の下に堕するというのが人間の本性なのだから」と言われている(岩波文庫、畠中尚志氏訳)。そしてここではエピクロス学派とは反対のことが結論されている。

ともかく「汝みずからを知れ」という箴言そのものが謎たのだ。いや、「汝みずから」がすでにスフィンクスの謎だ。プロクロスが『第一アルキビアデス』の注釈の初めに言っているように、「自分自身を知ること」が哲学の初めだ。

哲学を学ぶ諸君!諸君も正気をもって自分自身をよく調べたまえーこう言いたがら、しかし私自身のために想い出す一つの話がある。哲学の祖タレスはあるとき何がむずかしいことかと尋ねられて、「自分自身を知ることだ」と答え、また何が容易なことかと尋ねられて、「他人に忠告することだ」と答えたということだ。では、今夜はここまでにしよう。