く壱岐市〉発足記念特集
私と壱岐
いま求められている松永翁の自主独立の精神と先見性

Q:・松永安左エ門翁の伝記「爽やかなる熱情 電力王・松永安左エ門の生涯」 の取材で壱岐に行かれたそうですが、最初に受けた島のイメージは如何でした。

水木 壱岐を訪ねたのは確か三年ほど前です。あちこち回りましたが平地ばかりで、のどかというか、皆さん大変おおらかな人達だと感じましたね。対馬にも行きましたが、同じ島でも全く対照的ですね。


Q:・・松永翁の伝記を書こうと思われた動機は何ですか。

水木 
ある本で松永さんのことを読みましてね。これは一度取り上げてみたい、と。松永さんは近代の日本の財界人の中で、その生きざまというか、主張を自分自身で実践した人です。財界人ではピカ一です。政治家や官僚に屈せず、自分の信念 を貰いた姿勢は立派なものです。その信念が時のGHQを説得して昭和二十六年の九電力体制の実現につながり、現在も続いています。

Q:・・そういう松永精神というのはどこから生まれたと思います。

水木 
慶応大学の創立者でもある福沢諭吉の自主独立の精神を受け継いだともいえましょう。また、やはり壱岐という海で隔てられた島独特の風土で生まれたことも影響しているかもしれない。

Q:・・松永精神から現代の経営者が学ぶべきことはどんなことでしょう。

水木 
現在の経済人は、不確実性の時代とか、不透明の時代という言葉に甘えている。将来のことを深く考えようとせず、時代のせいにする傾向がある。松永安左エ門の凄いところは自主独立プラス将来を見る力、つまり先見性にすぐれていることです。将来を見据えて行動すればおのずと先が見えてくるということです。


Q:・・安左エ門翁の故郷である壱岐の人や青少年に対する激励を一つ。

水木 
まず誇りを持ってほしいということ。グローバリゼーション(国際化) が進む中で、いまは日本の良さを再発見しようとの動きも出ている。壱岐の人もあれもない、これもない、と考えるのではなく、壱岐にはこういうものがある、あんなものもあ る、と前向きに考え、その中から何かを発見してほしい。索漠とした世の中ですが、おおらかな気持ちは大切にしてもらいたいですね。

Q:・・平成十六年三月には 「壱岐市」としてスタートします。水木先生は取材で全国を回られていますが、この「平成の大合併」 についてはどう考えますか。

水木 私はこの平成の大合併について賛成論者でも反対論者でもない。市町村が合併統合すればすぐ経済が活性化し、景気がよくなると見るのは誤りです。要は市や町の将来像を描いて地域の資源をどう活用していくかです。ただ中央の真似をしているだけではだめです。


Q・・壱岐での取材を通じて他に感じたことは。

水木 
壱岐の人はよく働きますね。朝八時に石田町役場に行ったら、すでに皆さんそろって仕事していました。これには驚いた。東京近郊の役所ではこうはいかない。この時間、誰もいませんよ。

Q・・・壱岐の畠の食べ物や特産の麦焼酎はどうです。

水木 
魚がおいしいのは当然ですが、やはり魚料理はいいですね。小さなカキがおいしかった。酒はあまりやれないほうなので麦焼酎は「匂い」だけにしましたよ。(笑い)

・・・大変貴重なお話、有り難うございました。
●余滴
 
新聞記者出身らしく「記事は足で書け」 の鉄則を生かして、小説でも現場に足を運んで刻銘に取材する姿勢を貰く。この 「爽やかなる…」でも分かるように壱岐の描写や方言の正確さがその証拠。 水木さんは松永翁や田中角栄元首相の伝記のほか銀行崩壊や国際問題など多彩なテーマで次々と話題作を発表。この九月には出光興産の創業者・出光佐三翁の伝記を出したばかり。閉塞の時代といわれる今、安左エ門翁の先見性と自主独立の精神が求められるが「現在の経営者は不確実性や不透明感の時代という言葉に甘えている」との指摘はさすがに鋭い。 併せて市町村が合併統合すればすぐ経済が活性化すると見るのは誤りだとし、冷静な分析も忘れない。水木さんの話を聞いて、壱岐も将来を見据えた明確な地域像を描く必要を改めて痛感する。          (牧山康敏)
  
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[みずき・よう]一九三七年中国・上海生まれ。六〇年自由学園最高学部卒と同時に日本経済新聞社に入社、外務、大蔵、日銀担当を経てロンドン特派員、ワシントン支局長、取締役論説主幹などを歴任。九九年退社後は作家活動に。主な著書は前記のほか「銀行連鎖倒産」「脱所有社会の衝撃」「東京独立共和国」など多数。