一筋の道 松坂直美(日本詩人連盟前会長)
山口さんとの出逢いは、昭和3年の春、私が5年生で山口さんが一年生の時だ。当時の壱岐中学はクラスが50名一組だったのが、山口さんの上の学年から二クラスになり、それにしても全校生徒数も少なく名前や顔は覚えていた。山口さんが画の道を志されたことは風の噂で知っていたが、不幸な日中戦争が始まり、やがて私も招集されたりして、同じ東京で生活しながら相合うことはなかった。
再会したのはご子息が大学に入学され上京された時で、その後、昭和48年に絵の研究で外遊されるのを羽田にお見送りした時のスナップが私のアルバムに記録されている。私は絵は門外漢だが、山口さんが熊谷守一先生につかれて爾来50年、其の道一筋に貫かれ研鑽を積まれた結果、創元会会員に推薦されたことや、九州創元会の審査員、日本美術家連盟会員という経験が、山口さんの画業での苦心の足跡をよく物語っている。
北原白秋先生の門下生であった萩原蜜平先生を父とする山口さんの肉体には、芸術一族としての豊な天分の血が流れているので、その山口さんが長い間の画業を一冊の本として出版されるの報に接し、私は心から快挙を叫びたい。最近次々に新しい画家が生まれつつある壱岐画壇にとってこれ以上の喜びはあるまい。(情報源:山口幹雄全集から)
壱岐美術家協会ー山口幹雄ワールド |