迷路での声
顧 問 吉 木 豊
「私にとって神とは」(遠藤周作)の本の中で、神は存在ではなくて働きであると述べられている。では、神が私に対してどう働いて くれたかと云ったらそれは私の場合、母親と云うものを通して或いは私の人生に於いて非常に関係の深い人々を通して働いてくれました。
遠藤周作の感銘深い記述から私なりの人生の迷路のいくつかを取りあげて見ましょう。昭和十三年四月に台湾の隆雄小学校に出向が決定して、いざ出発する夕刻に激しいっ腹痛におそわれ福元病院長は原因不明の風土病かと云われた。其の時、目に(見えない何か強い力で肩先を押し返された)ような気がした。
昭和十五年、梅田倫平校長は私に長崎師範の附属小学校へ理科で是非行ってくれと云われた。私は非常に嬉しかったが、其の時佐世保市の養護学級の経営者に決まっていた。ガランとした教室の中で一人考えていると居る筈のない三年生の虚弱児が「先生帰りましょう」と言葉をかけた。長崎に向いた私の背に強い反発を覚えさせられた。
昭和十九年八月一日、佐世保相浦海兵団に入団し夕暮れになって兵舎に入る時、数名は教班長のさし出した足につまづいて倒れた。其の時、私の耳に跳び越せという言葉が聞こえた。教班長は私を事務室に連れて行って角力取りを命じた。結果は「お前は配乗変更だ。」と言って柔道部にまわされた。ここも部員なしで志願兵教育隊の勤務を命ぜられた。
敗戦で昭和二十二年四月より新学制が敷かれた。佐世保の T 校長から「清水に決めた、たて。」と電報が入って出発した。 以上は二、三の迷路にすぎないが、いづれも重要な使命を与えられたものであった。そこで私はあらためて神仏の御指示を深く感得したものである。(戦時中の勤務地の事は省略する)
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