墓標なき草原 (上) 楊海英著

 (T)モンゴル人が担う日本の現代史
ある特定の条件のもとで、国家や民族は巨大な暴力と化して、別の人々を破滅に導くことがある。大量虐殺はその一つのパターンである。中国文化大革命中の一九六七年から一九七〇年にかけて、中華人民共和国政府と「各少数民族の兄貴」を自認する漢族が、同じ国に住む「弟たるモンゴル人」を大量殺戮した歴史はその最たる事例といえる。本書は、この大量虐殺の歴史をモンゴル人の視点から再現したものである。

本書は中国に住むモンゴル人と、中国人を主人公としている。ここでいう中国人とは、専ら漢族を指す。モンゴル人は中国人とは異文異種の民族で、現代中国が標傍する「偉大な中華民族」の一員ではない。

何故、中国にもモンゴル人がいるのだろうか。今、モンゴルといえば、朝青龍と白鵬という二人の横綱の出身国であるモンゴル国を指す、と大方の日本人たちはそう理解しているだろう。実は、中国にもモンゴル人が居住する広大な地域がある。内モンゴル自治区と呼ばれ、日本の約三倍の面積を有しているところだ。

正確にいえば、モンゴル人が歴史的にずっと住んできた地域の一部が、中国人たちに占領され、中国の領土に組みこまれたために、「内モンゴル自治区」という存在が誕生したのである。本来ならばこの「内モンゴル自治区」という地域も、そこの住民のモンゴル人たちもすべてモンゴル国の一部でなければならなかった。本書はまず、モンゴル人の土地がどうして中国の領土とされ、モンゴル人の一部が不本意にも「中国籍モンゴル族」とされたのかを説明している。

現在、「中国籍のモンゴル人」の人口は約五〇〇万人で、自治区の全人口の一〇パーセントを占める。人口構成から見ると、モンゴル人は自らの故郷においてマイノリティに転落した人々である。

日本は、本書の第三の主人公、あるいは「陰の主人公」である。日本人は、直接は登場しないが、日本人の影響を受けたモンゴル人たちの運命が近現代の日本と連動している。いわば、日本の近現代の歴史を背負ったモンゴル人たちが、中国でどのように暮らしてきたかを物語っている。

端的にいえば、近代日本がモンゴル人の草原に触手を伸ばしたがゆえに、モンゴル人の領土が中国に占領されたのである。日本は満洲国を一九三二年に創った。満洲の広大無尽の黒い土に満足しなかった日本はさらに北上してモンゴル人民共和国やシベリアにも進出しようとした。

内モンゴルの草原ノモンハンで一九三九年夏にソ連・モンゴル聯合軍と一戦を交えて大敗を喫した日本はその後、軍を中国全土に展開するようになった。

拡大路線は少しずつ帝国の自壊につながった。満洲国は一九四五年八月にソ連`モンゴル人民共和国聯合軍の攻撃で消えた。そして、ソ連は「ヤルタ協定」に沿って満洲と内モン
ゴルを中国人共産主義者たちに引き渡した。かくして、モンゴル人の故郷は中国領土となるが、内モンゴル自治区の出現は、日本が満洲国の経営を途中で放棄した結果の一つでもあろう。

本書の主人公たちは、そのような「日本統治時代」を生きてから、中国と接触しはじめたのである。モンゴル人たちが近代日本をどのように理解しているのかを知る第一級の資料が本書に収まっている。

草原に進出していた日本人たちは一九四五年秋に列島にもどったが、モンゴル人たちの領土は分断された。一部がソ連の衛星国となり、一部は中国に占領されて自治区となった。 では、故郷が中国の領土とされ、国籍が中国とされたモンゴル人たちの運命はいかなるものだったのだろうか。

彼らが創ってきた歴史を中国はどのように位置づけたのか。モンゴル人たちは「正しい歴史を創造してきたのか」、それとも「間違った歴史を歩んできたのか」。そして、中国のモンゴル人たちは幸せだったのだろうか。

答えは否だ。物事を常に善悪という二項対立で思考しがちな中国において、共産党は「モンゴル人たちは対日協力者」だと断罪し、民族自決のための歴史も「祖国を分裂させようとした行動」だ、と建国後一七年の歳月が経ってから批判しはじめた。

モンゴル人たちが近現代において構築してきた歴史はすべて罪として再清算された。こうして、一九六七年から一九七〇年にかけての三年間に、大規模なジェノサイド〔民族の集団虐殺)が内モンゴルの草原で発動された。本書は、中国共産党がおこなった数々のジェノサイドの一端を描くことで、右で示した間題に答えようとしている。