見えない力に動かされている
           
 入江孝一郎
                          社団法人日本移動教室協会理事長
                       全国一の宮巡拝会世話人代表

目に見えない力に導かれ、動なされていることを実感しています。
世界に起こっている現象、気象をも含めて、目に見えない力による結果です。ここ十年来、人に合うと挨拶がわりに不景気を嘆く声が聞かれます。世界の政治家も、ロを揃えで景気の高揚を訴えていますが一向によくなりません。現代文明の不安は理性の偏重からみて、論理的に片づけられないものまで理性で片づけようとするがら、現代人は行き詰り、心の不安になり、社会不安となり、日々その現象が現われています。インテリは理屈に合わないことは科学的でなく、ことごとく迷信だと思い込んでいますが、頭で割り切ろうとしてかえって尊い人間性が殺されているのが現代文明の姿です。世界のいたるところに人間の悲劇、社 会の惨事が起こって、毎日、報道をにぎわしています。ことに日本人は明治以来、それを進歩・発展と思い込み、日本の大切なものを失ってきましたが、それに気づかずにいるのが、いまの世の中です。

何故そうなったのか考えてみたいと思います。

戦後の占領政策によって新憲法ができ、教育改革がされた結果だと心ある人はいいます。敗戦の日を境にして、戦場から復員してきた若者が、こんどは経済戦争の戦士となり、生きるため経済成長を目標にして、教育もその人材を養成してきました。そして経済大国になりましたが明治以前にもっていた日本人の魂も、生活様式も博物館の展示物になり、それを進歩だといっています。敗戦で戦場から日本に復員して、美しい祖国の山河も、やがて国土改造という名のもとに傷だらけとなり、見るかげもありません。それでも自然は素晴らしいと言っていますが.当時の人が見たら浦島太郎の風景です。

 数少なくなった大正生まれは、戦中派として明治と昭和の間に生き、日本の平和と繁栄に尽くしてきましたが、今、日本を失った原因は、明治維新以来の西洋文明の吸収と追従にあるように思います。近代文明における強大国を目指した日本は、二十世紀の戦争への道を歩みつづけ、敗戦ですべてを失いました。戦後の復興とともに経済戦争と戦い、それもまた、バフルの崩壊とともに不況にさらされています。一方、科学技術の進歩は小学生まで携帯電話を持つようになり、IT革命といわれる技術革新・情報化社会に遷遇しています。暮らしも農村と都会との違いはなく、どこも同じような生活をしていることがいいことだと思われていますが、日本68州といわれた、それぞれの歴史と文化の違いを失ったことに気づきません。

 近代文明の本家、欧米を見まずと、旅行した人は解ると思いますが.名所のドイツでのロマンチック街道やライン下りも昔の風景を残しています。名画「落ち穂拾い」の風景もフランスにそのままの姿で残っていいます。向井潤吉の農家の絵の風景は日本で見られなくなりました。欧米では自分達の文化を残し生きているのに、日本は日本の文化をを捨てる、また日本の精神世界まで迷信だとすることが進歩だと教育されてきました。それが136年もつづいてきたのが今日の姿です。日本を否定することに精力を費し、「日本はこんなことをしているとダメになる」ことを追いつづけてきたのが今日の姿です。


 
かつて日本人は、生まれ変るといってきました。楠正成の七生奉公は有名な話ですが生命は霊魂というものをもつていることを当然と信じていました。信じるより当然の現象でずが、教育で迷信とされています。平安時代の人々はこんなことはありません。当時の科学的先端、いま流行となっている陰陽師は、霊魂の動きを見るることが仕事の人です。怨みをもって死んだ人の霊は祟りがあると怖れられました。そのた御霊神社を祀り、菅原道真怨霊は凄まじく、天神さまとして立派な社殿を建立して祀りました。今日、学問の神様として崇められ、天神さまの絵馬が、今年はどこよりも多く出たといわれ、ご利益があります。

故なく死んだ霊、たとえば交通事故で死んだ霊は、瞬間に肉体を失い、そこに霊が彷徨っています。そこに霊が薄くなって人の車が事故を起こし、事故が事故を呼ぶといわれています。戦争や災害で死んた霊は、しっかりと鎮魂・供養をしなければ、安らかにならないと古来言われています。元寇の役の後、北条時宗は鎌倉円覚寺を建立し敵味方の死者の霊を供養しました。すべての死者の霊を鎮魂することは、古代から日本風習として伝承されてきました。陰陽道は明治6年(1873)に禁止され、理屈に合わないことは迷信だと思い込むはじまりであり、目に見えないものを信じないで理屈で考えるようになりました。

宇宙物理学では、この世のものはすべて素粒子からできていることがいまや常識になりました。当たり前の話ですが、見えない力、理屈に合わないことをことごとく迷信だと思っていた人々にとって、科学で精神力というものが実在することがやつと解ってきました。こころや精神力は宗教の問題というのは、非科学的な考え方であるということが、先端科学が到着しました。その見えないものに対して、サイ粒子という名前がつけられています。サイ粒子は質量がないから、地球でも簡単に突き抜けたり、あの世がらも飛んできます。誰でもふっと思わせたり、感得することがありますがそれを迷信だと片付けられてきました。

「ふっと思わす神ごころ、後で迷わす人ごごろ」といいますが、サイ粒子のはたらきによって感じられるということが解ってきました。それを霊感といっていますが、近代教育の力で目に見えないものしか信じない、科学で証明できるものしか信じないと教えられました。明治以前の日本人は、そうではなかったのです。サイ粒子のはたらきを感じられるのは、我欲を捨てていくことでかんじられます。有難いことに日本の国土は開発によって荒廃しましたが、古代から神様の鎮座する神域が生きでいます。

平成11年末から一年余で、全国一の宮巡拝してきましたが、神々が鎮座される清浄なる地が、日本の国土に宝石のように輝いていることを実感しました。いま、不況になり、ムダな消費をしなくなって、鎮守の森の価値や地球環境破壊の現象に気付き始めました。すべての現象は偶然ではなく、神様のお導きによるものです。戦争も不況も神様のお導きであると感得できる「いのち」、その試練に喜んで耐えられる「いのち」になるのが、本当の生き方だと思います。

全国一の宮巡拝が、人々の共生への具体的方法だと、巡拝しているうちに考えるようになり、科学技術の進展で迷路に入った人類は、原点に還ることだと感得したとき、壱岐国一の宮のことを考えました。壱岐は、元寇の役で元軍に占領され、722年そのまま省みられない多くの霊魂に気づきましたというより、思わせられました。このときの敵味方鎮魂供養をを壱岐の人に提案しましたところ、潮を待っていたかのように壱岐国一の宮、壱岐国分寺と神仏の力が加わりました。さらに「魏志倭人伝」一支国の国特別史跡・原の辻遺跡で「古代賛歌・卑弥呼」が脳裏に浮かんで「壱岐国ルネッサンス」と発展しました。見えない力、サイ粒子が活発に動き始めたことを痛感します。今年は数えで80歳になりますが「いのち」を、日本の使命とする地球的価値の発揮に尽くしたく思っています。