神様に逢いに
みずじんじゃH水神社(勝本町布気触)

取材・伊佐藤由紀子

壱岐式内社。創建は、弘仁2年(811)の説がありますが、諸説様々です。文徳天皇の仁寿元年(851)正月に正六位上に叙され、以後神階を進められて来ました。壱岐神社明細帳に、「立石村湯ノ本の内319戸が氏子、社地は2反4畝22歩、無税地で造営は民費」と書かれています。

壱岐名勝図誌には、「当社、元は天神と呼ばれていたが、延宝4年(1676)式社改の節、水本という地名から神明式の水神社なり」とあり、「橘三喜が壱岐の式内社を調査した際に、壱岐郡小社水神社とし、平戸藩主・松浦鎮信が御正体の木鏡1面と石額を献上した」と書かれています。

神社書上帳に、「布気村の産神也、祠宮並びに長寿院の僧一同に、初祈祷相勤候事」と記され、他にも太宰管内誌に、霊形を再興したことが記録されています。

「昔、木落の浜に神様が乗られた船が着き、石に腰掛け休まれた後に風早岡に行かれ、巽射辻(たつみいのつじ)を通り、下津岩根に瑞御殿(みずのみあらか)と呼ばれる御殿を建て祀られた」という伝説もあります。

古い記録には、ことごとく半城村と記録され妙見宮河原神社と間違えられていたようです。祭神が共通というだけなので壹岐神社誌はこれを排したようです。

拝殿前の狛犬は足下に石猿(町民族文化財)が二匹、狛犬と同じ竿財で彫られています(高さ23cm横32・5cm)。江戸時代の慶長3年(1867)に寄進されたもので、基段には布気の石工・仁造作の名と、弟子の良作・喜助・清作の名も見ることが出来ます。

燈籠の横には天然記念物の「大イチョウ」(根回り約11m、目通り約6m、樹高約20m)があり、壱岐の銘木でも知られています。

イチョウの中心の空洞は、昔、祭りの奉納相撲で使った土俵の縄を、銀杏の前に置いていたところ、突然炎があがり幹の中心に燃え移り穴が出来たそうです。

ここは、燈籠と一の鳥居の間に道路があるので、人も車も境内を通ります。

【祭神】▽ハヤアキツヒノミコト(延宝以前は、水神ミズハノメノカミ
【相殿】▽菅原道真
【境内社】▽庚申社▽稲荷社▽金比羅社▽若宮社▽山神▽岬宮

【祭典】▽3月28日祈年祭
    ▽11月23日新嘗祭
    ▽11月25日例祭・神幸
    ▽12月15日神迎祭