私も今年、後期高齢者に仲間入りした。このくらいまで馬齢を重ねていると、どうしてあんなことやってしまったのかと悔俊に臍(ほぞ)を噛まされる過去のことごとが思い起こされる。できることならそんなこと、人生から消し去ってしまいたい、そう思わされる出来事がいくつもある。しかし、そううまくはいかない。

善と悪、美と醜、聖と俗の二律を合わせもって75歳の現在の自分なのだから。当たり前の話である。民族と国家の過去とて同様であろう。誇らしい過去ばかりに支えられて現在がある、というほど歴史は単純ではない。栄光の歴史は引き受けるが汚辱の過去は清算してしまおうというのはただの傲慢であり、奇妙な歴史観である。

しかし、そういう歴史観を必死に追い求めている国がある。朴橦恵(ぱくくね)政権下韓国の「歴史清算」である。2005年12月、盧武鉱(のむひょん)政権下の韓国において「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立した。日本統治時代、その統治に協力した指導者の「反民族行為」の真相を糾明し、それが罪過と認定されれば、子孫の財産を没収して国家の帰属とするための法律である。

近代法における最も基本的な原則である「事後法禁止」が、ここではいとも簡単に放棄されている。

2011年8月の「元従軍慰安婦の個人請求権放棄は違憲」とする大法院判決、2013年7月に相次いだ新日鉄住金や三菱重工の元徴用工に対する賠償金支払いに関する高等法院判決などの背後にあるのは、「歴史清算」という途方もない法感覚だといわねばならない。

ここでは道義(らしきもの)が近代法や国際条約に優先する。国際条約とは、1965年の日韓基本条約のことである。そこでは国家賠償はもとより個人賠償までが「完全かつ最終的に解決」されている。道義を近代法と国際条約の上位観念とする国家が近代主権国家といえるか。

道義を国是とする専政国家への道を韓国は歩もうというのか。「歴史を顧みない国家に未来はない」と朴大統領はいうのだが、この問いかけが何より自国民に対してなされるのでなければ、韓国は今後とも「仮想空間」の中を漂いつづけ、日本との和解もかなうまい。日本は、しばらくは朴樺恵政権とは「君子の交わりは水の如く淡し」の対応でいくべし、というより他ない。

上善は水の如し