高野山管長真言密教を語る

・・・・真言の教えは高野山の地形が表しているようなところがありましてね。高野山は周りを山に囲まれていて下界を見下ろすところがない。良いも悪いも、敵も味方も、聖も俗も、全部包み込む雰囲気ががあるんです。この包容力は弘法大師の思想の特色でもあります。

・・・・高野山に弘法大師が開創したのは816年。標高約800メートルの山上盆地に117の寺院が密集するこの地は04年07月、紀伊山地の霊場と参詣道の一つとして世界文化遺産に登録された。・・・・・・

・・・・・織田信長と明智光秀が同じ場所に葬られ、上杉謙信と武田信玄のお墓も向かい合っている。慶長の役(1597-98)豊臣秀吉の第二次朝鮮出兵の後には敵と味方を一緒に祀る慰霊碑が作られている。

・・・・真言宗はインドや中国から思想を取り入れているので、東洋的な包容力のある考え方を受け継いでいるのです。現代でも比叡山延暦寺の座主や、曹洞宗大本山、永平寺の貫主が高野山にお越しになったり、東大寺管長と交流を続けたりしています。

・・・・「仏教は約2500年前、インドで釈尊仏陀が悟りを開いたことに起源する。中央アジアを経て中国に伝承し、6世紀ごろ、朝鮮半島経由で日本に伝えられた。空海が平安初期に大成した真言密教はあらゆるものの存在は肯定して取り入れ「百貨店」のような性格を持つ。一方鎌倉時代に興った禅宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などは、総合的な平安仏教の中から瞑想など一つの特徴に重点を置き「専門店」のようといわれている。

・・・・仏教は本来、現実をどう生きるかという問題が中心にあります。例えば、四苦八苦と四苦である「生老病死」は、生きる苦しみや、老いる苦しみをさすのではありません。「苦」は自分の思い通りにならないことという意味です。必然的に人に起こる「生老病死」に積極的にどう向き合うかということがお釈迦様の教えなのです。人はなぜ死ななくてはならないのか、死と真正面から向き合うことが必要です。・・・・・・

 (情報源:サンデー毎日H22.4.4)

管長:松永ゆうけい=1929年和歌山県生まれ。高野山密教学科卒、東北大学院インド学専攻博士課程終了。83-87年高野山大学学長、06年から現職。