韓国は日本人がつくった 新版まえがき 韓国人は、一九一〇年の日韓併合から四五年の終戦までの朝鮮半島の日本統治時代を「日帝三六年」と呼び、日本および日本人がいかに悪道非道の行いをしてきたかということを非難しっづけてきた。しかも、日本政府がいくら謝罪や反省を重ね、さらにはそれを明文化しても、韓国人の嫌日・反日感情は沈静化するどころか、さらに激昂する一方である。 興味深いのは、反日を声高に叫んでいるのは日本統治時代を知る世代よりも、若いハングル世代のほうが多いということである。同じように日本の統治時代があった台湾では、若者の間で日本がブームになり、こうした「日本大好き人間」のことを「恰日族=ハーリー」と呼んで社会現象にもなっている。しかし、韓国にはそのような若者は出てきていない。 そもそも、韓国人の嫌日・反日感情には、さまざまな要因、理由がいくつも複合的にからみあっていると思われる。自分たちは日本に文明を伝えた兄貴分であるのに、日本のほうが大国になってしまったことへの嫉妬、あるいは、民衆を一つにまとめるために「日本」を共通の「敵」と位置づけようという政治的な思惑もあるだろう。 本書では、こうした韓国人の複雑な反日感情の意識心理学的分析をするつもりはない。だが、韓国人の反日の最大の理由であり、彼らが日本攻撃の際に必ず引き合いに出す「歴史認識」問題については、はっきりさせなくてはいけない。それは、日帝は韓国を支配するために、主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源の七つを奪ったというものだ。 しかし、本当にこのような略奪があったのだろうか。それを検証することは、日韓親方が「正しい歴史認識」を得るためには避けて通れないはずのことなのに、誰もがそれを怠つてきた。韓国人はヒステリックに自分たちの主張を叫ぶだけ。そして日本政府は事の真相をよく確かめもせずに、あまりにも安易に謝罪や反省を繰り返す。 はっきり言って、私はそれが不満である。ことに、小渕総理(当時)が謝罪を明文化したことは、じつに大きなショックであった。 そこで私はこの「七奪」を中心とした韓国側の非難について、改めてメスを入れることにした。そして明らかになったのは、「日帝」は韓国が主張しているような「七奪」など犯しておらず、韓国からは何ひとつ奪っていないということであった。それどころか、韓国の近代化に大きな貢献をもたらしたのだ。 この、韓国人がよく言う「七奪」とは「七恩」と見るべきもので、「七生報恩」するのが本筋である。私は、かねてからこのように主張してきたし、これが「正しい歴史認識」のひとつであると考えている。 戦後、日韓をめぐつて多くの不愉快ないざこざがあった。その最大の元凶は、やはり「歴史認識」問題だった。だが、そもそも全体主義国家でないかぎり、歴史観をたったひとつに絞ってしまうことは不可能だ。だから、日韓が違う歴史認識を持っているのは当然といえば当然なのだ。 歴史は倫理学ではない。韓国人のように、過去の歴史を「不幸の歴史」と一方的に決めつけるのは、非常におかしな話である。ましてや「幸不幸」とは、きわめて主観的なものだ。それをもって歴史を総括し、さらには他人に押し付けるなどは言語道断だ。 加えて、歴史は法学や訴訟ではない。加害者と被害者に両断して歴史を語ることはできないし、それは「正しい歴史認識」とはほど遠いものだ。 本書で述べたように、朝鮮半島には英雄譚が非常に多い。もちろん、韓国人がフィクシんヨンを後世に伝えるのは構わないが、これは日本にとってはどうでもいい話だ。百歩譲って、そんな自慢話を押し付けられるのはまだガマンできるかもしれないしかし、半島分断や民主化の遅れ、通貨崩壊の不始末までを日本のせいにするのは、無責任にして無自覚きわまりない。 韓国知識人の良識と良心がいかにお粗末かを、白日の下に晒すことにもなるのだ。果たして韓国人はそこに気付いているのだろうか。一方で、つねに贖罪意識を持っている日本人にも問題ある。戦後の日韓条約から終戦五〇年の国会不戦決議、小渕総理の植民地支配の反省と謝罪の明文化など、日本はこれまでさんざん反省の意を表してきた。しかし、韓国の反日感情はいっこうに衰えていない。逆に、天皇訪韓は義務だなどと、嚇しにちかい態度を取り続けている。 そんな韓国に対し中国は、「高句麗史と渤海史は中国の地方史だ」と、堂々と言ってのけている。また、朝鮮戦争における中国人民義勇軍の半島蹂躙の過去に対して、中国は「謝罪する必要はないし、将来もするつもりはない」と一喝するだけだ。 中国の強気の一喝に、韓国はただただ後ずさりするのみで、何の反論もない。このように、韓国の「歴史認識」がいかに曖昧で政治的なものか、日本人も知るべきである。 最近、日韓双方は歴史共同研究を行うことで合意した。しかし、今の状況ではその研究結果も容易に想像がつく。結局、韓国の一方的な押し付けを日本政府は丸飲みし、反省と謝罪を繰り返す。これまでと大差ない、名ばかりの「共同研究」となるだろう。 そもそも、近代国民国家の日本では、歴史観も歴史認識もきわめて個人的なものである。日本の憲法では、個人の信念と意思の自由を保障することを謳っている。一方、韓国では歴史観や歴史認識を統一する必要があった。民力を結集させることが、国家の存亡を左右したからである。しかし、国家がある程度安定してきた現在、歴史観の自由を守るべきであろう。 もちろん私は韓国人でも日本人でもない。また、韓国史の専門家でもない。一般的な常識をもつひとりの台湾人にすぎない。だが、そんな私だからこそ、「岡目八目」という言葉があるように、より冷静に歴史を見ることができるのではないだろうか。より多面的に日韓の「歴史認識」問題を語れるのではないか。また、私自身もそうあろうと努めている。 この間題を公平に語ることは、日韓親方の「歴史認識」にとって有益だと信じているからだ。 最後に、私が本書で「七奪」は「七恩」だと力説したのは、歪めれた歴史認識を正すのが目的である。決して、「七生報恩」を求めることが目的ではないことを、ここで強調しておきたい。ただ、「七生報恩」まではしなくとも、せめて「日帝三六年」の過去に対して、韓国人は素直に「感謝」すべきだとは思っている。それが常識というものだ。 2005年3月吉日 黄 文雄 |