禁状態に置かれたままの日本は真に「平和」だと言えようか。他国の顔色を窺(うかが)い自国の国土、国民を守る意識もない国は平和国家とは言えない。真の平和を維持するには大きなエネルギーが必要だ。
四方を海に囲まれた日本は歴史上、他国の侵略を受け国が奪われる経験をしなかった。人々は「国家」が消滅するという切迫した危機感に乏しい。しかし、現実の国際社会では、拉致に象徴される様々(さまざま)な工作活動がなされ、日本も当然、標的となっている。
事実、北朝鮮の工作員は船で日本の沖合まで来て、小舟などで上陸していた。日本国内に他国の工作員が易々と侵入していたのである。
齏に懲りて膾を吹くがごとし
戦後、日本は国を守ることにあまりに臆病だ。齏(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き続けている。真の平和を享受するためには、外交力、国際的な情報力、防衛力、母国への思いなど、あらゆる面で常に備えていなければならない。一刻も早く、国土と国民を堅固に守る体制が求められる。その根本が憲法である。
憲法の前文を読むと、日本の長い歴史の中で、日本の人々が培ってきた文化に基づく考え方や思相が見当たらない、自分たちの言葉ではなく、他所から借りてきた文章が綴(つづ)られていると感じ、大変残念なことだと思い続けてきた。
前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。今の国際社会は、「諸国民の公正と信義」を信頼できる状況にはない。諸国民を信頼する前に、「国家」として自立していなければならない。それには、自国の国民、領土・領海・領空を守ることが不可欠であり、できなければ国は消滅するというのが現在の国際社会の捉である。国際社会は厳しく、甘えの余地はない。
本来、調和ある社会を重んじる日本には、国際社会でも重要な役割を果たして貢献できる文化がある。こうした日本の精神・文化を盛り込んだ憲法を自ら制定する時が来ている。主権回復から60年、回復したはずの主権を自ら守り初らなかったことを恥じ、まずは自らの憲法を制定しょう。(なかやまきょうこ) 2012.4.30
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