「個人」「権利」偏重で荒廃

家族・教育

東京都立川市で今年3月7日、95歳の女性と63歳の娘の2人が都営アパートの一室で亡くなっているのが見つかった。女性は認知症で、介護していた娘が何らかの原因で死亡し、女性もまもなく亡くなったとみられている。相次ぐ「孤立死」の一例だ。

都住宅供給公社や市によると、
母娘の家庭は、行政的支援や見守り、安否確認のための緊急立ち入りの対象から抜け落ちていた。

「1人世帯が対象だった」といった理由からだ。
母娘の遺体発見後、公社や市は、支援や見守りの対象世帯拡大などの再発防止策を決めた。だが、立川市では2月中旬にも、母親(45)と知的障害のある息子(4)が「孤立死」しているのが見つかり、市は対策強化を打ち出したばかりだった。

問題発生と対策強化のイタチごっこが続く。公社も市も「現状では絶対に『孤立死』を防げるとは言い切れない」と頭を抱える。

平成22年夏、東京都足立区で、111歳の男性が実際には約30年前に死んでいたことが発覚し、男性の
年金を不正受給していた家族が逮捕される事件があった。

都の1世帯当たりの人数は、今年元日時点で1.99人と、統計の残る昭和32年以降で初めて2人を割り込んだ。
「家族がバラバラになりきった感じだ」と石原慎太郎都知事は話す。
××
昭和の高度成長期まで、社会を支えていた日本の「家族」。だが、核家族化や非婚・晩婚化、少子化により家族・親族の人数は減少し、互いの関係も希薄化しつつある。

「家族」の姿は、昭和22年12月、戦前の家制度を廃止した改正民法の公布を契機に大きく変わった。同年7月30日の参議院司法委員会で、鈴木義男司法相は改正理由をこう説明した。

「現行(旧)民法の下では、戸主は家の統率者として、家族に対し、居所指定権、婚姻及ぴ縁組の同意権、その他各種の権力を認められておりますが、これらはすでに述べました日本国憲法の基本原則と両立しない」ここで憲法の基本原則として挙げられたのが「個人の尊重」(第13条)、「法の下の平等」(第14条)、「家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」(第24条)だった。

その憲法の基本原則がことさら強調され、
個人の「自由」「権利」を絶対視して「義務」を軽視しがちだったのが戦後民主主義だったともいえる。子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの"義務"は置き去りにされていった。

足立区の年金不正受給事件を受けた法務省の調査では、戸籍上「存命」しながら、死亡届の不提出などで「所在不明」の100歳以上の高齢者は約23万4千人にのぼった。

「家族」は国や社会を構成する基礎単位であり、憲法に保護・尊重条項を設けている国は多い。しかし、日本国憲法にはその家族条項がなく、家族の"崩壊現象"に歯止めがかからない。

しかも、
民主党政権は、社会保障や税について「世帯単位から個人単位へ」という基本原則の大転換を打ち出し、配偶者控除など「家族」優遇制度の廃止を進めようとしている。
××
戦後の風潮が変容させたのは、家族だけではない。「一人一人の意思や能力に応じた個性重視の教育」を理念とする行き過ぎた「ゆとり教育」が学力低下を招いた。
過度の校則自由化や教師の「指導」の制限は、授業が成り立たない「学級崩壊」など学校の秩序崩壊につながっている。

高崎経済大学の八木秀次教授は「家族も教育も、
個人の『権利』『自由」を絶対視する憲法学が生み出した風潮で壊された。自主自立の精神や公共心の重要性を明記せず、国家観もない憲法の欠陥が、そうした解釈を許し、教育現場を縛って害している」と指摘する。(小島新一)