日本人よ大柱達縄へ拠れ 永遠に紡ぐワラ
政界も揺れ動くが、今年は日本の神々も腰を落ち着けていられない。伊勢神宮(三重県)は20年に−度の式年遷宮が佳境に入った。住吉大社(大阪市)もしかり。神話の里、島根県出雲市、出雲大社でも60年に−度の遷宮で、ご神体を本殿から拝殿にうつす「仮殿遷宮祭」がすでに行われた。これに合わせ、神楽殿にかかる日空の大注連縄(しめなわ)が8年ぶりに掛け替えられた。 長さ13・5b、周囲7b、重さが4・5`ある。昭和20年代、山川惣治氏の『少年ケニヤ』が本紙に連載され人気を呼んだ。主人公ワタルを守る大蛇ダーナの巨大さに圧倒されたが1その胴体を輪切りにした迫力。何もかも桁外れのスケールを誇る大社建築物に見事に溶け込んでいるため「古くから掛けられているように思えるが、じつは56年に初奉納。これが4度目だ。「普通20年間は保つが、参拝者が縁起担ぎで硬貨を投げて突き刺すもんだから、傷みが激しいんです」
生産者は、中国山地の奥深い県東南部、飯南町頓原地区、農業、菅恒義さん(81)だ。代々、大社の神官を務める傍ら、注連縄作りを営み、キャリア70年。菅さんは、まず紙粘土で模型を作り、1カ月かけ、設計図を引いた。ワラは水田4・5f分。2万6000束の内、芯部分は3年間も干した。延べ700人が2カ月かけ、仕上げは巨大クレーン2台で、縒り合わせた。作り手が心を一にしなければ、決してバランスのとれた品はできない。参拝者が、神様のご加護を受け、家内安全、日々幸せに暮らせるよう、世の中が平和であれ、願いながら作る」。
菅さんは戦前、海軍に志願。ラバウル、トラック島を転戦中、同期350人のうち、300人を失った。
広島への原爆投下時、江田島に帰っていた。3日後、市内に入り、死傷者の搬送に従事した。地獄絵図と中国山地を越え復員した故郷の山河の美しさ。鮮やかな対比が心にしみこんだ。昨年11月熊野三山の熊野速玉大社(和歌山県新宮市)に奉納された大注連縄も作った。菅さんは現地にに長期滞在し、技術指導も行う。長野、茨城、栃木、神奈川、沖縄県、さらにハワイ・ホノルルも行った。現地指導だけでなく、志ある人々を呼び寄せ、地元で研修してもらうケースも・・・。
また肝心のワラは、殻がしっかりし、繊維が強い「コシヒカリ」を農家の契約栽培で確保する。大阪市の三笠フーズなど汚染米不正転用問題が全国的に広がりを見せる一方で、日本人の根幹をなす稲作りと二次利用は、ここに健在だ。ワラを通じての伝統技術の開発・交流は連綿と続く。まもなく農閑期。近在の老若男女が作業場に集結する。毎年恒例、お正月の家庭用注連縄作りが始まる。和気あいあいながらも、緊張感を漂わせ、−万5000本を全国に出荷する。菅さんによると、以前、直径20aあった注連縄は現在、15aへと縮んだという。一戸建ての玄関表に飾っていた注連縄がマンションドア内側用へと用途変更されたからだ。極大から微細な細工まで名人芸が生きる。
「日本人よ、鎮守の森を守り、大きな祭りをせよ。祭りがないと、日本は活性化しません」。大注連縄は、その拠り所なのだ。 =おわり
駿河湾沿いに伸びる宿場は、駿河自慢の「富士山と白隠さん」両方にゆかりがあり、小規模ながら旅人には印象深かった。 まず、富士山。 ここからの眺めは雄大そのもの。広重の作品には、山頂を絵からはみ出させた大胆な構図のものがあり、見た者の想像力をかき立てる。 臨済宗中興の祖・白隠は、この地で生まれ近くの松蔭寺住職になった。境内には、折れた枝を気遣った白隠が、殿様から譲り受けたすり鉢をかぶせたという伝説が残る松が今もそびえている=写真。 第十三次 原(静岡県沼津市) |
情報源:平成20年(2008年)9月22日 月曜日【産経新聞:列島進化論 藤原義則)
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