里の秋

島に生まれて、島に生かされてA    原 田   茂

島にとって 「観光」とは(下) 

 
最初、観光地はどのような形で生まれてきたでしょうか? 神社、仏閣、温泉地といった当たり前の観光地ではない所では、何が原点で始まっているのかを考えてみました。ある場所を(島)訪れた人がいました。何もない、田舎と呼ばれるところで、宿泊や飲食する場所もないなかで、その人を迎えたメンバーがいました。普段と変わらないおもてなしに喜んだ来訪者は、次の年は友だちを連れてきました。

タダというわけにもいかないので、その人はいくらかのお金をその地域に落としていきました。それがきっかけになり、その地域のメンバーは少しずつサービス業に取り組んでいきます。最初に訪れた人は多くの知り合いに、そしてその知り合いも別の知り合いにその場所の良さを伝え、どんどん輪が広がっていきます。一人の個人がその場所を気に入り、それをもてなすメンバーがおり、それに対して報酬を支払い、また訪れる人は仲間を連れて再び訪れる、その繰り返しがつながり、多くの人の流れが生まれる。訪れる人と、もてなす人のバランスが保たれていると、そこは永きにわたって人の交流が生まれてくるのでしょう。

 始まりの始まりはこのくらいの出来事ではなかったのでしょうか。そこを訪れた人がその場所のいいところを、実際住んでいる人の気がつかない何かを見つけてそれをロコミで広めていく。そうした関係は、やはり個人個人が発信する情報で成り立っているのだと思います。

 そしてまた、間口を大きく広げすぎないのが、その場所での観光が永く続く秘訣なのではないでしょうか。一番困るのは、住民の想いとは違った形で、その地域が型にはめられようとしていることです。とても迷惑であり、息苦しくもあります。 また、中途半端につくられたものより、ありのままのほうがリピートされやすいのではないのでしょうか。

 ある方が講演で言っていました。観光客数全体を100とすると、団体が一で九九が個人のお客となっている、いくら団体を集客しても、一人ひとりをちやんと受け入れていかないと、成り立たないよとと。 何年後かに再び白石島を訪れてくれる人の大半が、「ここは昔のままでいいですね」と言ってくれます。その言葉は、われわれに「島に生きててよかったなあ」と元気を与えてくれています。この島はすごい島だなあ、もっと島に感謝しなきゃ…。


デイズニーランド よりおもしろい   島の修学旅行
 
いま、私たちの島には、修学旅行生が多く来島しています。 きっかけは、ある学校の校長先生がこの島を訪れてくれたことです。子どもたちにこの島の環境を感じさせる何かいい仕掛けがないか、この島でどのようなことが出来るのか、と言って来られたのが二四年前のことでした。最初は三人で
始まった受け入れ企画も、理解者に恵まれたおかげで、いまでは少しばかりちやんとした事業になってきています。

 ところが、ここで勘違いが生じます。「とてもいい観光誘致ですね」 違います! 修学旅行、研修旅行は観光ではありません。島にやって来る子どもたちの眼を見て気づかされました。一緒に企画する先生たちも真剣です。おそらく、一生に一度しか訪れることのない場所で、学校生活最後のセレモニーを行うため、この島を選んでくれた方々を相手に、観光事業スタイルで望むのは間違っていると思います。       (つづく)

※(財)日本離島センター機関誌しま215号より