神々の島、壱岐の紹介
 日本書記や古事記に神が造った国、日本大八島の一つとして登場する壱岐の島は、壱岐島は佐賀県の東松浦半島から北北西へ約22kmの玄界灘に浮かび、対馬島とともに古くから九州本土と朝鮮半島を結ぶ海上交通の中継地としての役割を担ってきました。

 魏志倭人伝や中国の史書に記される「一大國」、あるいは「一支國」とはこの壱岐島だとされ、東南部の「原ノ辻遺跡」から出土される数々の遺品は、その中心集落だったことを物語っています。

 この小さな島には、実に多くの神社があります。中には日本最古に近いものもあり、一説によれば神社発祥の地といわれている社もあります。

壱岐の神社めぐり神々の島ガイドブッYOUTUBE




  おわりにんなことから始めた神社巡り。とうとう壱岐の島までやって来て、なぜか壱岐に住むことになってしまいました。これは何かの巡り合わ?いやいや壱岐の神々に呼ばれて来たのです。

 でもなぜ壱岐に?
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初めて壱岐の島に来た時、今までにない気を感じた神社がありました。それが、天手長比売神社でした。お社はないのですが、空間に一歩足を踏み入れた瞬間、懐かしさと共にお母さんに抱かれている時の安心感みたいな、やわらかくてやさしい気を感じたのです。「むかしむかし私はここにいたかも」という思いが甦って…。もちろん今世ではなく、過去世での記憶です。「もしかして私は長い長い年月をかけて壱岐の島に戻ってきたのかな。そうか、ここに来るために、今まで神社巡りをしてきたんだ」と。天手長比売神社は、今も私のお気に入り神社の一つです。

そんな壱岐の島に住んでみて、もうひとつ気づいたこと、それは、自然に対する感謝の気持ちが強くなったことです。太陽が照り、草木が伸び作物が稔る。太陽が沈み、月が出て星がまたたき、行く道を示してくれる。風が吹き雲を呼び雨が降る。そして草木も人間も潤う。古代の人たちは、太陽に月にそしてあらゆる自然のものに感謝し、神として崇め、そしてその自然と共に生きてきたのだということを学びました。太陽と月のおかげでこの地球が豊かな星であること。もう一度思い出しその恵みに慾謝し、これからも、天照大神(太陽神)、月読尊(月神)、素蓋鳴尊(地球神)はじめ八百万の神々様のご加護とお導きの中で、私のやるべきことをやって行きたいと思っています。

神社のことを調べるにあたって、多くの方にご協力いただきました。各神社の宮司さん、場所が分からない神社を案内してくださったり、いろいろと貴重なお話を聞かせてくださったりと、本当にお世話になりました。

お祭りの時、東京からやって来た私を温かく迎え、ご馳走と共にもてなして下さった各神社の総代さん及び氏子さん方、楽しいひと時を過ごさせていただきました.また、神社を探している時、親切に神社まで案内してくれたおじさん、畑仕事の手を休めてまで、丁寧に道順をおしえてくれたおばあちゃん、三島まで船を出してくれた岡賢蔵さん、とても助かりました。

また、本など作ったことのない私を、指導し励ましてくれた、壱岐日報の武田嘉人さんと壱岐アイランドプレスの大野英治さん、お二人からは勇気と白信をいただきました.皆さん本当に本当にありがとうございました。感謝しています、
最後に、壱岐の神々様に、壱岐の島に関わる全ての人が今ここにいて、幸せであることを感謝し、そしてこれから先も代々見守ってくださるようお願いして、終わりとさせていただきます。ありがとうございました。
         平成23年3月吉日 田村 睦