一面から続く 平成17年(2005年)8月6日産経新聞 歴史の自縛 ・・戦後60年・・ 「戦後」終わらせるとき 昭和四十七年九月、首相の田中角栄が訪中し、日中共同声明に著名した。 「 ![]() ロ ロ ロ 衆院本会議場から自民党幹事長代理の安倍普三、元経産相の平沼剋夫らが次々と退場した。 今月二日、共産党を除く自民、公明、民主、社民四党の賛成多数で採択された「戦後六十年決議」の採決直前だった。村山富市政権下の十年前、大量の欠席者が出た末に採択された「戦後五十年決議」。今回の決議では、十年前の決議に盛り込まれた日本の「侵略的行為」や「植民地支配」といった文言こそなかったものの、民主党元代表、菅直人らの主張をいれて「十年前の戦後五十年決議を想起し」という文言が入った。 積極的に動いたのは、議長の河野洋平だった。河野は「会期内に広島、長崎の原爆の日を迎えるので、衆院として平和への決意を示したい」と意気込んだ。だが、中国の態度は厳しかった。外務報道官の孔泉は決議をこう切り捨てた。 「歴史問題を逆戻りさせる行為に未来はない。日本は軍国主義による侵略の歴史を深刻に反省し、歴史問題を妥当に処理すべきだ」 □ □ □ ここまでこじれた中国との関係を今後、どう再構築すべきか。 「戦後和解」(中公新書)を著した山梨学院大学法学部助教授の小菅信子は、日本と中国の地理的近さによる近親憎悪の感情ゆえに「英国が抱えるアイルランド問題と同様に戦後和解は難しい」とみる。 弁解の余地のないユダヤ人に対する組織的なホロコースト(虐殺)を行って戦勝国の「正義」を受け入れざるを得なかったドイツ。それに比べ、日本では、米国による原爆投下や大空襲で非戦闘員を大量に殺害されたこともあり、「加害と被害の線引きとバランスが不明確になり、日中間の戦後和解を難しくさせている」と分析する。 それでも、戦後長く日英間のわだかまりとなった英軍人捕虜問題が、平成十年、首相の橋本龍太郎が英政府の非公式のアドバイスを受け、大衆紙に謝罪のメッセージを送ったことがきっかけで、融和に 向かったことがヒントになるという。 「首相には中国だけでなく世界にメッセージを発信する老樹さを身に付けてほしい」と注文する。一方、中西は根本的な問題の解決が先決だと言う。 「いい加減に謝罪外交をやめ、日本人を罪の意識で縛り続ける憲法を変えることから始めなければならない」 ジャーナリストの櫻井よしこは「この十年ぐらいで、新しい歴史の事実、国民の意識を覚醒するためのさまざまな事実関係が次々と明らかになつてきた」としたうえで、こつ語った。 「私はこのごろ希望を持っています。まもなく私たちの手で『戦後を終わらせる』ことができつでしょう」(敬称略) =おわり ◇ この企画は佐々木類、阿比留瑠比、加納宏季、安藤慶太、乾正人が担当しました。 ![]() 歴史認識めぐる発言 5閣僚罷免、辞任 ![]() |