今日一日が人生だ 上廣榮治(うえひろえいじ)

「実践でいちばん大切なことは何ですか」。突然、高校生ぐらいの娘さんに聞かれました。あなたなら、何と答えますか。ふいを突かれた私は、逆に質問で切り返しました。「〈朝の誓〉でいちぱん多く出てくる言葉は何ですか」「工ート、〈今日一日〉です」「そう、いちばん大切なのはそのことです。それが何を意味するかは、ご自分で考えてみてください」

宿題を出すことで、私はこの難問を何とか切り抜けたのでした。知人の息子さんに、予備校で古文の講師をしている人がいます。彼によれば、大学受験を一年後に控えた生徒たちのほとんどは、二つのタイプに分かれるというのです。

ひとつは、「もう一年しかない」という焦(あせ)りで浮足立(うきあしだ)っているタイプです。一年あれば、基礎から固め直すこともできるはずですが、このタイプの人たちには、そんな心のゆとりはありません。ひたすら実践的なテクニックばかりを身につけようとします。しかしそれでは、なかなか実力はつきません。

すると今度は、すっかり諦(あきら)めの気分になってしまうというのです。もうひとつは「まだ一年もある」というタイプです。このタイプの人たちは、二日や三日遊んでも、長い一年のほんの一部にすぎないと楽観していて、なかなか本気モードになりません。

ところが秋風が立つ頃になると、突然、「もう時間がない」という心理状態に陥(おちい)って焦りだすというのです。彼は、生徒たちが「もう一年しかない」にも、「まだ一年もある」にもならないように、最初の授業で吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草=つれづれぐさ』の一文を紹介し、大切なのは「今」であることを伝えているといいます。

それは次のような内容です。「わずかな時間を惜しむ人はいない。それは、わずかすぎて惜しむに値しないからなのか、ただ愚かだからなのか、わずか一銭の金は軽いが、一銭の金も集めれば貧者も富者になる。時間も同じことである。一瞬の時間といえども無為に過ごしていれば、死はたちまちやってくる。

道を求める者は、遠い時間を思うのではなく、今の一瞬が空(むな)しく過ぎていくことこそ惜しめ」さらに兼好法師は続けます。「私たちは飲み食いし、便所に行き、おしゃべりし、歩いて、一日の多くの時問を費やしている。残りの時間はわずかであるのに、無益なことをしたり考えたりして貴重な時問を浪費している。

かくして一日を無駄にし、一か月を無駄にし、結局、一生を無駄に過ごしてしまう。それは、まことに愚かなことである」

一年先のことを思って、焦ったり楽観したりするのはやめよう。大事なのは「今」を惜しみ、努力することだ、というのです。

昨年九月に亡くなられた天台宗の大阿闇梨(だいあじゃり)で、「千日回峰行=せんにちかいほうぎょう」を二度も達成した酒井雄哉(ゆうさい)師にも、「今日一日」の大切さを説いた『一日一生』という著書があります。

この「千日回峰行」というのは、比叡山中を1〇〇〇日問で地球をほぼ一周するほどの距離を歩き抜く荒行です。それを二度も達成したのは、比叡山の長い歴史の中で、まだ三人しかいないそうです。

その回峰の行は草鞋(わらじ)ばきで行なうのですが、一日歩いて戻ってくるとそれはもうぼろぼろで、翌日には、新しい草鞋に替えなければならない。それを毎日続けているうちに、草鞋が自分自身に思えてきたと酒井師は語っています。

つまり、今日の自分は草鞋を脱いだときにおしまいになる。今日、うまくいかないことがあったら、そのわけを一生懸命に考え反省し、自分を変える。そうやって、明日はまた、新しい草鞋とともに新しい自分が生まれてくるというのです。

酒井師は言います。「〈一日が一生〉という気構えで生きていくと、つまらないことにこだわらなくなる。今日のことは今日でおしまい。しこりを残さない。恨みを明日に引きずらない」さらに、ご自分の人生についても次のように語っています。

「八十何年生きたからどうの、これまで何をしてきただのではなくて、大事なのは〈いま〉、そして〈これから〉なんだ。〈いま〉何をしているのか、〈これから〉何をするかが大切なんだ」と。

私たちはとかく、「今日一日」を人生という長いドラマの一コマにすぎないと思いがちです。それは一日の存在を軽く考えてしまうことです。こうして、明日も明後日も軽く無駄に過ごし、ひいては一生を無駄に過ごしてしまうのです。

だからこそ、私たち会友は、毎朝、「今日一日」に全力を注ごうと誓い合います。「今日のほかに人生はない」「人生を輝かすとは今日一日を生き切ることだ」と思い定めて、精進することを誓うのです。

「今日一日」という言葉は、無為に過ぎていく時の流れに「実践のくさび」を打ち込むものです。昨日の自分も今日の自分も、同じ自分だと思って過ごすかぎり、状況を改善することも、自分を向上させることもできません。「今日一日」という言葉は、電車のレールを切り換える転轍機(てんてつきポイント)のようなもので、そこには「朝の訪れとともにレールを切り換えよう。新しく一から始めよう」という決意が込められているのです。

アップル社を設立してパソコンの世界で革命的な成功をおさめたスティーブ・ジョブズさんは、生前、「毎日を人生最後の日」と考えて生きてきたと言っていました。毎朝、鏡を見ながら「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日することになっていることを、本当にしたいだろうか?」と問い掛け、「今日一日」を大切にしてきたというのです。

教科書でもお馴染(なじ)みの工藤直子さんの詩『まいにち「おはつ」』は次のように始まります。---目がさめてせのびして/「きょう」という日の扉をあけると/生まれたばかりのそよかぜが/世界中にお日さまのにおいを/とどけているところでした/さあいちにちがはじまるね/まいにち「おはつ」/まいにちあたらしい1

実践にとって大切なことは、日々新たに、「今日一日こそが人生だ」という気持ちで、「今」を充実させていくことなのです。日々そのような思いを込めて、「朝の誓」を唱和したいと思います。