扇動的表現で不安あおる朝毎
集団的自衛権行使を
容認する産経.読売、日経と、反対する朝日、毎日との間で全国紙5紙の論調は二分されたが、今回、思わぬ論点が浮した。

それは朝毎が仕掛けた
「戦争巻きまれ」論という、行使への否定的キヤンペーンだった。
この感情に訴える「巻き込まれ」の手法は、昭和35年の安保騒乱の社説でも噴出しており、興味深い事例といえる。

@戦争巻き込まれ論

朝日は平成26年5月16日付で「参戦」という表現を使った。安倍晋三首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(法制懇)が、集団的自衛権の行使を容認する報告書をまとめたことを受け、
「日本が攻撃されたわけではないのに、自衛隊の武力行使に道を開く。これはつまり、参戦するということである」と書いた。

6月5日付でも「自衛隊員が戦闘に巻き込まれる可能性は格段に高くなる」とした。

毎日は「集団的自衛権が戦争への道をひらく面があることを忘れてはならない」(5月16日付)、「米国から派兵を求められて断り切れずに不当な戦争に巻き込まれる危険もある」(7月1日付)と訴えた。

一方、産経は、行使容認への反対派が「日本は米軍に追従して世界で戦争するのか」などと提起していることに触れ、「避けなければならないのは、行使容認を否定、阻止するための宣伝にこの論争が使われ、問題の本質がすり替えられることだ」(25年9月22日付)と警鐘を鳴らした。

読売は「集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある」(26年5月3日付)と力説した。

日経は7月2日付で、戦争巻き込まれ論への「不安も聞かれる」としたうえで、「しかし、日本、そしてアジアの安定を守り、戦争を防いでいくうえで、今回の決定は適切といえる」と支持した。

残念だったのは、
「殺し、殺される」という扇動的な表現が散見されたことだ。朝日は3月3日付で「自衛隊員が他国民を殺し、他国民に殺される可能性が格段に高まる」とし、毎日は「自衛隊員が殺し、殺されるかもしれない」(7月1日付)とした。

これらに対し、
産経は「誤解や曲解で不安をあおるのはやめてもらいたい」(9月1日付)、読売は「根拠のない扇動」(5月3日付)と批判した。

朝日はまた、7月2日付で「極端な解釈変更が許されるなら、基本的人権すら有名無実にされかねない」とした。根拠のないことを言い立て、不安をあおっているといえる。

これらの手法に加え、朝日の特徴といえるのは、近隣諸国への過度の配慮であり、日本が脅威であるとの不可解な認識に立っていることだ。

平成8年5月3日付朝日は「日本の安全と、長期的な日米関係にとって最も重要なのは、日本が近隣諸国から不安を持たれず、信頼されることである」と断じた。7年5月22日付でも「客観的にみて、これらの国々(中国、北朝鮮、ロシア=筆者注)に日本を侵略するような誘因や動機があるとは考えられない」と書いた。

同年5月3日付の社説特集「国際協力と憲法」でも「日本を直接の舞台にした地域紛争の司能性は極めて少ない」と指摘した。

甘い見通しであったことは、
日本固有の領土である尖閣諸島周辺の領海侵犯を常態化している国の存在が示していよう。

日本脅威論は、前掲の社説特集での「すべての土台は、日本が再び軍事的な脅威とならないことだ」が物語る。国連平和維持活動(PKO)協力法が成立した翌日の平成4年6月16日付では「PKOへの自衛隊派遣がアジアにおける日本の覇権志向と受け取られるようなことがあってはならない」とした。


日本が覇権を目指している認識がどこから生まれてくるのだろうか。こうした論調の基盤となっているのは、前掲の社説特集「国際協力と憲法」だ。ここで朝日は「良心的兵役拒否国家、そんな国をめざそうというのである」とした。

良心的兵役拒否を個人が選ぶことを否定するつもりはないが、国家としての選択となると、非武装・無抵抗と同意語だろう。無責任のそしりは免れない。