共生の時代を生きる「ありがとう」と伝えよう

表情やしぐさでも気持ちは伝わる

NPO法人江戸しぐさ名誉会長
越川禮子さん

昭和元年東京生まれ。41年に(株)インテリジェンス・サービスを設立。女性スタッフで市場調査、商品企画などを手がける。61年アメリ力の老人問題をルポした。「グレイパンサー」で潮賞ノンフィクション部門優秀賞を受賞。その後江戸しぐさの伝承者、芝三光氏に師事し、江戸しぐさの語り部として講演や執筆活動に精力的に取リ組む。「江戸の繁盛しぐさ」「暮らしうるおう江戸しぐさ」『身につけよう1江戸しぐさ』など著書多数。

互いに見交わすところに江戸しぐさの意味がある

感謝の言葉とともに、表情やしぐさでも思いを伝えると、気持ちはより深く相手の心に届くものです。江戸時代の町人たちは、
「江戸しぐさ」によって感謝やお礼の気持ちを上手に表現していました。人混みですれ違うとき、内側の肩と腕を後ろに引く「肩引き」、雨や雪の日に、傘を外側に傾けてすれ違う「傘かしげ」……。

江戸しぐさと呼ばれるこうした所作は、地下鉄のマナーポスターや雑誌などで紹介されたり、小中学校の授業にも取り入れられたりして、今では広く知られています。

しかし、二十年にわたって江戸しぐさを研究してきた越川禮子さんは、しぐさの形をなぞることには熱心でも、本質を理解していない人が多いと言います。「この間もある会合で、一人の男性から『傘かしげは、傘を内側に傾けて、互いに顔が見えないようにしたほうがいいんじゃありませんか』と言われて、驚きました。

とんでもない。『傘を傾けてもらってありがとうございます』『こちらこそ、ありがとう、こざいます』と、見交わすことで感謝の思いを伝え合うのが江戸しぐさなのに、顔が見えないようにして、どうするんでしょう。江戸しぐさは、まずあいさつ。単なるマナーではないんです」

徳川家康が幕府を開いたことで急速に拡大していった江戸の町は、元禄時代にはすでに人口百万人を超える、世界一の大都市でした。その半分を占めていたのが全国から集まってきた町方の人々でしたが、市街地の大半は大名屋敷や武家屋敷、寺社の領地で占められており、町人が生活するのは城下町の狭い地域に限られていました。

さまざまな地方の人が、人口密度の高い狭い地域で共に生活すれば、どうしてもストレスがたまります。しかも、江戸初期には、戦国時代の殺伐とした気風もまだ残っていました。そんな中でトラブルを未然に防ぎ、人々が安心して暮らせる町にしたいと知恵を絞ったのが、町衆と言われた町方のリーダーたちでした。

江戸しぐさは、彼らが考え、率先して実行し、広めていった生活哲学なのです。「江戸っ子は『無表情は野暮』と、たとえ赤の他人でも、すれ違うときには目で会釈し合いましたし、知り合いに出会えば声をかけなくとも、笑顔を向ければそれがあいさつになりました。江戸しぐさは、決して堅苦しい儀礼ではなかったんですよ」

しかも、これは知識として覚えるものではなく、感性によって身につけるものだったと越川さんは言います。「形ではなく、その根底にある共生・互助の精神が大事だったんです。だから、文字に書かれた指南書はありませんでした。人々は口伝えで、あるいは手本となる人をなぞって、身につけていきました」

人間関係を良くするのはあいさつと感謝の気持ち

江戸しぐさには、二つの大きな目的がありました。一つは、江戸を争いやいじめのない、平和で繁栄する町にすること。もう一つは、異なる地方から来た者同士が対等な関係を結ぶ「異文化の共生」を実現することでした。「これは、今の社会にも十分通用する考え方だと思うんです。むしろ外国人が増えている現代のほうが、共生・互助の精神はますます必要とされているのではないでしょうか」

例えば、電車の中で足を踏まれたとします。あわてて謝る相手に無言で頷くか、せいぜい「大丈夫です」と答えるのが、現代人
の反応ではないでしょうか。そんなとき、江戸の人々は「こちらこそ、うっかりしていました」と、「うかつ謝り」で返したそうです。「すると足を踏んだほうもほっとして、その場に和やかな空気が生まれます。

こうして自分の感情をちょっと抑えることで、トラブルを未然に防いでいたんですね」また、江戸時代の近所付き合いには、必要以上に他人のプライバシーには踏み込まない節度があった、と越川さんは言います。

「出かけようとする人に『お出かけ?』と声はかけても、決して『どちらへ?』とか『何の用事で?』と聞くことはありませんでした。相手に具体的な返事を求めず、しかも声をかけることで絆が生まれるiI。こうした会話のセンスを、今の私たちは、もっと見習うべきだと思うんですよ」

謝意やお礼を伝えるのも決して大仰ではなく、さりげなく行われていました。「席を詰めてもらって座れた人が『ありがとう』と軽く頭を下げ、周りも『どういたしまして』と笑顔で応える。言葉はなくても、気持ちのやりとりはそれで十分でした。

人間関係を良くするのはまずあいさつ、そして感謝の気持ちという意識が、人々にしっかりと根付いていたのです」しかし、現代の社会では、さりげなく、上手に謝意を表す人は少なくなっていると、越川さんは感じています。

「むしろ、外国人のほうがよく『サンキュー』と口にしますね。欧米では、幼い頃から徹底してこの言葉を教えるそうですが、確かに子どもの頃から言い慣れていないと、『ありがとう』と、すっと出てこないかもしれません。

でも、子どもがこの言葉を身につけるには、やはり親自身が日頃からよく使っていることが大事なんですが……」

小中学校で江戸しぐさを教えることも多い越川さん。説明とともに所作を見せると「美しい」「かっこいい」と素直に反応し、自分もやってみようとする子どもたちが多いそうで、そうした姿に希望を感じるといいます。「今の子どもたちは思いやりがないのではなく、お手本がないだけだと思うんです。

言葉の使い方や表情、身のこなしをどで相手を思いやり、助け合おうとする江戸しぐさは、日本人の美徳であり、宝です。その心を、語り部として、これからも次の世代にしっかり手渡していきたいですね」


・・・・・・・・・・・・実践倫理の視点・・・・・・・・・
「感謝」の心の大切さ

感謝とは恩を知ること

他人と交わリ、お互いに助け合わなければ生きていけない人間は、恩の海の中で生きています。そして、恩の海を深く豊かにしていくもの、人と人とがより善い関係を結んでいくための原動力が「感謝」の心です。

「感謝」とは恩を知リ、恩を感じ取ることです。自然の恵みを顧みず、父母や、自分を支えてくれる人々や社会の恩を忘れて、自分は誰の世話にもならずに自立しており、自分の人生は自分のものだから、どう生きようと勝手だと思い上がっている人には、感謝の心が希薄です。

感謝の心が薄ければ、親切心や助け合う心も貧弱です。これに対して、自分が人々のお蔭で生きている、多くの恩の中で生かされているという自覚があれば、感謝の念は自ずと湧いてくるものです。

この感謝の心が親に向いたと
き、それは「孝行」となリ、ときにはお年寄リに対する「思いやり」となり、人に向いたときには「誠意」や「親切」となり、社会に向いたときには「喜働」や「奉仕」となって現れます。



感謝の心は全ての成就の源

さらに、自分が千万無量(せんまんむりょう)の恩の真っ只中に生かされて、育み護られているという強い自覚に到達すれば、感謝の心がいっそう強まるのは必然です。

強い感謝の心は、人をさらなる実践に駆り立てます。生きる喜びを生み、その喜びが自分の可能性を開花させ、自己実現へ向かうことは、これまで多くの人々が証明してきたところです。

家族や周囲の人々に対する感謝の心は、そのまま豊かな「愛和」の関係を生み出します。仕事における感謝の心は、喜働や誠意となって仕事の成功につながらないはずはあリません。

そして、大自然に生かされていることに感謝の思いを馳せれば、二度と得られぬこの一瞬を、一刻たりとも無駄に過ごすことはできないはずです。

こうして感謝の心は全ての「成就」につながっていくのです。古今東西の大政治家や大実業家が、「感謝の心」を自らの人生訓や家訓としているのもそのためです。(上廣榮治会長著『実践倫理講座天の巻 大自然の摂理の下で』より要約)