情報源:日本の息吹 (平成二十四年二月号)

    
古事記1300年を迎えて 作家・慶應義塾大学講師 竹田恒泰

 
★憲法第一章は古事記への理解がなければ分からない

竹田さんの古事記との出会いは? 旧皇族の家に生まれて何か特別の教育はあったのでしょうか。

竹田 何も特別なものはありません。ただ、小学校3年生のときに、慶應の幼稚舎の授業で文学として読みましょうということで、初めて古事記を読みました。以来、ずっと興昧を持って勉強してきています。いま、大学で憲法第一章の講義をしていますが、1年間の授業のうち、3分のーを古事記の講義にあてています。

一憲法の授業で古事記ですか?
竹田
 憲法第一章は「天皇」です。一国の基本法たる憲法の冒頭は、その国の最も重要な国の形について記しているわけです。ではなぜ、日本の憲法の冒頭に天皇の条項が来るのか。それを理解するには日本の建国の由来を知ることから始めるしかない。建国の由来を書いたのが古事記、日本書記(合わせて「記紀」と言います)ですから、これを学ばずして憲法の第一章の意味は分からないのです。つまり、意識するとしないとにかかわらず、我が国は現在でも記紀の世界とのつながりのなかに生きているのです。

 古事記の一番の特徴はなんといっても建国の書だということです。我が国がいつどのようにできたのか。これに答えるために書かれたのが古事記で、何も民間人が勝手に書いたものではない。国家が編纂し、いわば日本の政府の公式見解が書かれている書であり、日本人の原点が分かる書なのです。

 今年、平成24年(2012)は、古事記が編纂されて1300年に当たる。このときにあたり「古事記1300プロジェクト」運動を推進されている竹田恒泰氏にお話を伺った。

★「古事記1300プロジェクト」

ーその古事記を全国のホテルに置こうという運動を始められたそうですね。


竹田
 今年は古事記編纂1300年ということで、「古事記 1300プロジェクト」というものを立ち上げまして、その運動の一つとして全国各地のホテルに古事記を配布する運動を行っています。ホテルに泊まると聖書と仏教聖典が必ずおいてある。

 西洋の根本聖典と東洋の根本聖典があるのに、なぜ日本の根本聖典というべき古事記が日本のホテルにないのか、というのが昔からの疑問でした。そこで、私が6年間かけて現代語に訳した古事記を全国各地のホテルに配布することにしまして、昨年末までに19都道府県35箇所のホテル約3000室に配布させていただきました。これは昨秋刊行した『現代語古事記』(学研)が元になっていて、元々竹田研究会で使っていた資料をまとめたものです。
一人でも多くの国民に古事記との縁を取り戻してほしいと願いを込めて行っています。

★神話教育は民族存立の要件である

ー改めて、なぜ、いま古事記なのでしょうか。


 竹田
イギリスの歴史家、アーノルド・トインビーが「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言っています。この言葉はとても恐ろしい。なぜなら、戦後教育を受けた世代のほとんどは、日本神話を学んできたとはいえないからです。つまりトインビーの言に従えば日本の教育が現状のまま推移すれば、日本民族は必ず滅ぶことになるのです。

 なぜ、こうなってしまったのか。もちろんそれは敗戦後日本を占領した連合国の占領政策に起因します。連合国は日本の神話はフィクションだから教えるに値しない、あるいは軍国主義の元凶と決めつけて、日本の教育から古事記、日本書紀を排除しました。ところが、その当の連合国のなかではギリシャ神話、新約聖書など神話教育を徹底しているのです。アメリカでは聖書の知識がなければジョークも通用しないといわれるくらいです。

 つまり、ダブルスタンダードなのです。日本を骨抜きにするというのが占領軍の最大の目的でした。そして彼らは知っていたのです、民族の神話である古事記、日本書紀を奪い、封印することによって日本民族は弱体化し、ひいては骨抜きになることを。そして現状はまさにその通りになってしまったのです。

 たけだつねやす
昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。慶鷹義塾大学法学部法律学科卒業専門は憲法学・史学。一般財団法人竹田研究財団理事長。『語られなかった皇族たちの真実』で第15回山本七平賞受賞。第2回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞受賞。他の著書に、『旧皇族が語る天皇の日本史』拍本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』など。


★震災で目覚めた日本人

 竹田 
しかし、私たちは震災という大きな不幸のなかに、一筋の光明を見出しました。それは、あの被災地の住民の、そして被災地に寄せる日本国民の一体感、絆です。大震災の前後で日本人の意識が変わったと思うんです。本屋さんに行くと、震災前は「だから日本はダメなんだ」というような日本を罵倒する本が山積みになっていた。ところが、震災後は、日本のすばらしさを語る本が山積みになるようになった。

誰だって震災の後、日本を罵倒するような本は読みたくない、日本の良いところを探したい、という気持ちになるのは当然のことでしょう。しかも、それに拍車をかけたのは被災者の方々のじっと耐える姿、他者を思いやる姿でした。「日本人って、やはりこうでなくてはいけない」と日本中の人々が感動した。それによって多くの日本国民が見失いかけていた日本人の美しさ、雄々しさというものに気付いた。この"日本再発見"が決して独りよがりでないことは、震災に際して海外のメディアがこぞって日本人の素晴らしさを称賛したことによって裏付けられました。

 明治天皇の御製に"
しきしまの大和心のををしさはことある時ぞあらはれにける"

とあります(明治三十七年)。大和心、日本人の精神というものは普段は見えないかもしれない。でも究極の困難のときにこそ見える形で現れてくる。まさに被災地の方々の姿に大和心が現れ出たのです。あのような日本人骨抜き教育を受けてきたにもかかわらず、日本人の心のなかには大和心が残っているということが分かったのです。そこでいま日本のことを知りたいという人が多くなってきている。では何を読めばいいのか。私は「古事記を読め」と言っています。

 ■古事記とは
天武天皇の勅命によって編纂がはじまった現存する我が国最古の歴史書□稗田阿礼(ひえだのあれ)が、天皇の系譜・事績そして神話などを記した「帝紀」旧辞」などの書物を誦集(書物などを繰り返し読むこと)し、それを太安万侶(おおのやすまろ)が4ヶ月かけて編纂し、元明天皇の御世の和銅5年(712)に完成し、天皇に献上された。上・中・下の全3巻に分かれ、原本は失われたが、後世の写本が現在に伝わる。(竹田氏著「現代語 古事記」序にかえてより)

■古事記1300プロジェクト
 
竹田恒泰氏が理事長を務める一般財団法人竹田研究財団が、古事記編纂1300年にあたり発足させたもので、古事記普及のため、さまざまな取組みを企画推進中。詳細は、ホームページ http://www.takenoma.com/kojiki1300.html まで。
ホテルに配布されてる古事記の現代語訳

★古事記で分かる三つの価値観

竹田 民族の行動を決めるのは民族の価値観です。民族の価値観には三つの柱がある。ひとつは自然観、もうひとつは死生観、三つ目が歴史観。古事記を読むとこの三つが分かる。

日本人は大自然をどうとらえているのか。人はどこから来てどこに行くのか、人生とは何か、生きるとは何か、死ぬとは何か。そして、古事記編纂の目的自体が日本の建国を明らかにすることですから、天皇とは何か、日本とは何か、日本人とは何かという歴史観が分かります。いま、日本人が求め始めた、民族の価値観を理解できる最上の書こそ古事記なのです。

ー「古事記1300年」についてはいつごろから準備を?

竹田
 実は現代語訳を進めていた当初はまったぐ意識してなかったんです。それが2年ほど前に、「1300年」に、はたと気づいてからは、これは最後のチャンスじゃないかと思うようになりました。しかも、それから間もなく新燃岳が噴火しました(平成23年1月)。

天孫降臨の舞台の一つと伝えられる高千穂の峰のある霧島連山の新燃岳、そこが噴火するということは、何かの警告ではないのか。そう思っていたところへ、3月の大地震です。そして、その翌年の今年が「古事記1300年」。

6年間の現代語訳が完成を迎えた頃、新燃岳噴火⇒大震災⇒日本人の意識の覚醒⇒古事記編纂1300年、という流れがあって、これはもう単なる偶然とは思えませんでした。

トインビーがいうように民族の神話を忘れた民族は滅びるのであれば、「古事記1300年」の平成24年の一年間にどれほどの日本人が古事記との縁をつなぐことができるかどうか、ということに民族の存亡がかかっていると言っても過言ではない。

そこまで日本は来てしまっているのです。本来であれば国家がやるべきであり、教育が悪いと文句をいうのは簡単ですが、それでは何も進まない。だったら民間でやろうと。

一 昨年は、教育基本法が変わって最初の検定合格教科書が小学校で使用され始めましたが、国語の教科書に、「八岐大蛇=やまたのおろち」や「因幡の白兎=いなぱしろうさぎ」などの神話が登場しました。

竹田 それは画期的ですね。昨年、中学校の歴史で神話を取り上げている保守系教科書が採択数を伸ばしたということも併せて、そういう変化に期待したいですね。なにしろ、戦後の歴史教科書は神話は無視して考古学から始まっていましたから。それでは建国の由来など子供たちは知る由もない。

やはり日本0歴史教科書であれば、古事記から語りはじめて、天孫降臨を経て日の神の子孫が初代の天皇になったということは最低限の常識として子供たちに教えるべきです。

自分の国がいつできたか、自分の国の建国の由来や民族の神話を知らない人は世界に出れば馬鹿にされますよ。

ー 震災で海外からの関心が高まって、「日本人はなんであんなに礼儀正しいんだ」などと日本人の特性について聞かれることはより増えてくるかもしれませんね。

竹田
 そうです。古事記を読んでいれば大抵のことは答えられます。

★日本人の自然観

一古事記で民族の価値観が分かるというお話でしたが、具体例を挙げていただけませんか。


竹田
 自然観について言いますと、古代の日本人は科学の知識がなくとも、鋭い観察力によって大自然の原理を体得していたんですね。高天原の統治者を太陽神である天照大御としたことは、生命の根源が太陽にあることを経験的に知っていたということだと思います。太陽の熱によって大気の循環が生まれ、地上に雨をもたらし、土壌の微生物を育て、植物はその養分を根から吸収し、あるいは葉で光合成によって有機物を作り、動物はその植物を食べて生きて行くわけですから、すべての根源はまさに太陽にある。

また、須佐之男命が、鼻、口、尻から食材を出して料理した大気津比売神(おおげつひめのかみ)を殺したとき、その屍から蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆などが生じ、これが五穀の起源とされています。排泄物から料理を作った神の屍から五穀が生じたというのは、排泄物が大自然に還り、また食物になるという物質循環の仕組みを示しているのではないでしょうか。

古事記では、神とは大自然のことです。そしてその神の子孫が人であるとされています。つまり、人は大自然から生まれ、大自然の恵みによって生かされている存在であり、大自然に感謝を捧げながら生きてきたのが日本人であることが示されているのです。一方で、ときに大自然は災害などで人々を苦しめてもきた。つまり、大自然の恵みに感謝しながら正しく大自然を畏れてきた。大自然との付き合い方、作法というものをずっと積み上げてきたのが日本人であり、そのべースには調和、和の思想がある。

この和の思想が、自然に対してだけではなく、家族生活、社会や集団の生活、そして国としてまとまるときにも、あるいは他宗教や異文化との関係においても、今日にいたるまで日本人のものの考え方や行動原理の根底をなしています。

★古事記は世界遺産である

竹田
 私は古事記は世界遺産にすべきではないかと思っています。その理由は古事記には、日本が和の国であることの原点が示されているからです。人類史はまさに戦争、闘争の歴史です。本来人間を救済するはずの宗教でさえ、異教徒間で殺し合っています。インドでも中国でもヨーロッパでも宗教戦争の歴史が世界の歴史といっても過言ではない。一方、日本では宗教戦争は起きたことがない。

では最初から単一の宗教だったかというとそうではなく、たとえば、三輪山、伊勢、出雲など各地に独自の信仰があった。しかも遅くとも4世紀には大和に統一王権が成立していますが、戦争を経た形跡がないことが考古学から確認されている。

世界史の通例は戦争をして国が統一されるのに、日本にはそれがなかった。つまり、大和朝廷は主に話し合いで勢力範囲を拡大し、国を統合していったとみられるのです。そして、統合後も、地域の信仰をつぶしたりせず残したのです。

その象徴的な事例が、古事記に記されている「出雲の国譲り」です。高天原を統治する天照大御神が、あしはらのなかつくにおおくに葦原中国の国づくりを終えた大国ぬしのかみ主神に使者を遣わせ、国を譲るように迫った。すると、一部争いは起きますが、最終的にはすべて話し合いで、国譲りが行われるのです。

しかも、大切なことは、国譲りの条件として、大国主神を祭る壮大な宮殿を出雲に作ることを求められ、これを実現していることです。これが出雲大社ですね。つまり、日本は太古の昔から、信教の自由が保障されてきた国だったのです。

しかも、古事記が素晴らしいのは、これら別々の信仰をパッケージにして一つの流れを持つ神話にまとめあげたということです。その結果、各地域の信仰が一つの神話体系として理解されることとなりました。大和の神様も出雲の神様も元は兄弟だということになれば、争う必要はなくなります。もちろん、これらの信仰は自然信仰という共通の土台の上にあったから可能だったともいえますが、驚くのは、生まれた十壌がまったく違う仏教や儒教が入ってきても、神仏習合でこれらをうまく取り込み、神道と共存させたことです。こんなことをやり遂げたのは日本以外にない。

ー他と協調、共存できる日本の和の精神こそ世界を救うものであり、それを示した古事記は世界遺産に値するというわけですね。

竹田
 そのとおりです。

ーそして、その和の精神を生み出した根底に、古事記の自然観があるということも重要ですね。先日、黛敏郎先生の遺作、『オペラ古事記』が日本で初上演されましたが、このオペラは元々、オーストリアの小劇場から依頼されたもので、ヨーロッパの人々は古事記の世界にキリスト教以前のゲルマンの信仰を感じるらしいのです。

竹田
 なるほど。ゲルマンやケルトなど太古の昔はおそらくどこでも自然と調和する感覚をもっていた。それがキリスト教やイスラム教などの一神教によって壊されて、大自然は人間が支配、管理するものだという、私たち日本人の感覚からすると、傲慢な考え方に変わっていった。

先史以前の大自然と調和する感覚が途切れずにそのまま現代に生きているのは、主要国では日本だけでしょうね。

ーそれも世界遺産ですね。

竹田
そうですよ。

★神武建国以来、変わらぬ天皇と国民の絆

ーなぜそれが日本だけ途切れなかったのでしょうか。


竹田
 海に囲まれた島国で地理的に外からの侵攻を受けにくかったという理由は大きいですが、やはり神武建国によって、統合の権威が確立されたことが大きかったと思います。神武天皇は、天照大御神の直系ですが、母方の系統に山の神様、海の神様がおられる。そうして山、海を統治する資格をも帯びられるわけです。

日本人の自然信仰は、新石器時代から縄文時代へと続く何万年もの間に培われたものですが、その縄文人の大自然と調和する感覚をそのまま体現して各時代に架け橋をしてきたのが、天皇の役割の一つだったのではないでしょうか。

五穀豊穣を天照大御神に感謝する新嘗祭をはじめとする宮中祭祀を今も香主陛下は厳修なさっておいでで、これに倣って全国の神社や家々の神棚で神々を祭ってきたのが日本人だったのです。

そして和の精神をもって、民を大御宝(おおみたから)として建国がなされた。それは日本書記の橿原奠(てん)都の詔に表現されています。天皇は祈る御存在だと言われますが、日本には、日本人一人一人の幸せを命をかけて祈ってくださる方がいらっしゃる。それもときどき現れるのではなくて、神武建国以来、日本の歴史を通じて歴代の天皇はずっと国民のために祈りを捧げてきた。

そのすごさを我々は今回の大震災でも見ました。被災地のお見舞いにいろんな人が行きましたけれども、まるで身内を見舞っているかのような真撃さ、真剣さで被災地を訪れたのは、両陛下だけでした。

日常不断に国家、国民の幸せを祈り続けてきた御方ならばこそ醸し出される風格と慈愛を、改めて国民は感じ取ったのではないでしょうか。

天皇が国民の幸せと五穀豊穣をお祈りになる。天皇は国民を大切にし、国民は天皇を大切にする、そんな愛情で結ばれた天皇と国民の深い絆は、太古の昔から今日まで時代がどんなに変わろうとも決して変わることがなかった。

それが日本の思想のべースであることを考えると、今回の震災で明らかになったように、戦後教育のなかで日本人の大和心が表面は失われていたかのように見えても実は息づいていたことの根本的理由は、激しい時代の変化にもかかわらず、古代から今日まで一貫してその本質的営みが変わらなかった天皇の御存在が一番大きいと思いますね。

★似非個人主義から大和心へ

一今回の震災で、国民が大和心を思い起こしたとき、変わらぬ天皇の御姿を再発見したともいえますね。


竹田
 その気付きを継続して深めていく為にも、ぜひとも古事記を読み続けてほしいと思います。大和心とは、「世のため人のために生きることが、より大きな自分のためになる」ということではないかと思います。聞くところによると、小学校で「夢を発表しなさい」という課題の授業のとき、児童が「僕は国のために生きます」などというと、先生から呼び出されて、「自分のために生きろ」という指導を受けるという。

こういう教育の延長線上に、金に魂を売ったようなIT社長がもてはやされた時代もあった。しかし、そういう物質偏重の時代は、震災と共に終わりました。

人のために尽くし、究極の場合には人のために死ねるということが美しい生き方なんだということを我々は今回の震災で目の当たりにしました。自衛隊の活躍と共に南三陸町役場の遠藤未希さんの話が有名になりましたね。映画『氷雪の門』で知られる終戦直後の樺太の真岡の電信局員の話は、お国のために死ねという間違った教育の被害者だと解釈する人がいましたが、遠藤さんの姿で、そうじゃないということが証明されました。普通の暮らしをして、間もなく結婚式を迎えようという若い女性が、いざとなったら住民の命を守るために自らの命を投げ出すという行為を私たちは現実に見てしまった。

遠藤さんは、いま自分が職務を離れて生き残ってその代わりに何百人が死んだという人生ではなくて、いまここで命を絶たれてもいいから多くの人たちを助けたいという道を選んだ。特攻隊員の若者と同じで、それがより大きな自分の幸せになると信じたんだと思います。これが日本人の本質なんです。日本人の大和心なんです。

★歴史観を取り戻せ

竹田
 さきほど民族の価値観には自然観と死生観と歴史観の三つがあると言いましたが、自然観も死生観もまっとうなものを持っていますよ、現代の日本人は。唯一欠けているのが歴史観なんです。世界の国々で、日本ほど自国の建国記念日に無関心な国はありません。

そして自国の建国の英雄たる初代国王や初代大統領の名を知らない国民はいないのに、日本を建国した初代の天皇、神武天皇を知らない日本人がいかに多いことか。これがいかに異常なことかは、初代国王ゴームの名前を知らないデンマーク人はいないし、初代大統領ジョージ・ワシントンの名前を知らないアメリ力人はいない、ということを想起するだけで明らかでしょう。

日本政府は、戦後だって、神武天皇を否定したことは一度もないのです。それは国の祝祭日である建国記念の日が今でも2月11日だということに端的に現れています。その日付の根拠は日本書記で神武天皇が即位された日を太陽暦に換算した日が2月11日であるということ以外にはないからです。にもかかわらず、今日、政府主催の式典やお祝い事は何も催されていない。こんなに建国を無視した国は世界中にありません。しかも日本は現存する国家のなかで、世界最古の国なのです。

日本の次に長い歴史をもつデンマークは1100年余、次のイギリスは1000年弱の歴史です。これに対して日本は短くても1800年、長くみれば2600年以上ですから、桁違いの長さなのです。このように世界に誇るべき長い歴史を持つ国の建国を祝わないなんて、もったいないと思いませんか。

まっとうな民族の歴史観を養ったときに日本人はかつての輝きを取り戻すと思います。その手始めに、まずは古事記を読んでほしい。今年は古事記1300年、さらに来年は神宮の式年遷宮です。今年から日本の蘇りが始まる、そう信じて共に頑張りましょう。

    二月十一日は「建国記念の日」です。

 日本書紀は、初代神武天皇が橿原宮に都を開いた日を「辛酉年(かのとのとりのとし)の春正月の庚辰の朔に(むつきかのえたつ ついたちのひ)天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。

 是歳(ことし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記しています。これを明治時代になって太陽暦に換算して算出されたのが二月十一日なのです。

 古事記!300年の今年、世界最古の国に生まれ合わせた幸せを思いつつ、建国記念日をお祝いしましょう。

 ★天壌無窮の神勅(日本書紀』巻第二)

 
みずほこれあうみのこきみくによろ豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是吾(これあ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫就(いましすめみまゆ)きて治せ、行矣(さきくませ)。賓祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし。

 ★橿原奠都の詔(百本書紀』巻第三)

 
我(あれ)東に征きしより茲(ここ)に六年(むとせ)になりぬ。皇神(あまつかみ)の威(いきほひ)を頼(かがふ)りて、凶徒就戮(あたどもころ)されぬ。辺土未(ほとりのくにいま)だ清(しづま)らず。

 余妖尚梗(のこりのわざはひなほこは)しといへども、中州之地(なかつくに)また風塵(さわぎ)なし。誠によろしく皇都(みやこ)を恢廓(ひらきひろ)め、大壮(みあらか)を規墓(はかりつく)るべし。而(しか)して今、運屯蒙(ときわかくくらき)にあひ、民(おほみたから)の心朴素(すなほ)なり。

 巣にすみ穴にすむ習俗(しわざ)、これ常となれり。それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことわり)かならず時に随(したが)ふ。局(いやし)くも民(おほみたから)に利(かが)有らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。また当(まさ)に山林を披(ひら)き沸(はら)ひ、

 宮室(おほみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて實位(たかみくら)に臨み、以て元元(おほみたから)を鎮(しず)むべし。上(かみ)はすなはち乾霊(あまつかみ)の国を授(さづ)けたまひし徳(みうつくしび)に答へ、下(しも)はすなはち皇孫正(すめみまただしき)を養(やしな)ひたまひし心(みこころ)を弘(ひろ)めむ。

然(しか)して後に六合(くにのうち)をかねて以て都(みゃこ)を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(せ)むこと、また可(よ)からずや。かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)の橿原(かしはら)の地(ところ)を観(み)れば、蓋(けだ)し国の墺區(もなか)か。治(みやこつく)るべし。