日本人のルーツ、
古事記の世界を若者に
慶鷹義塾大学大学院生、神主、女優 吉木誉絵
古事記を歌う歌姫、パリに見参。
なぜ若者に古事記を伝えたいのかー
日本人のルーツを求めて
-古事記との出会いは?
吉木 私は東京生れの東京育ちですが、父が出雲出身で、家族で年に一度は出雲に帰り、出雲大社にお参りしていましたので、因幡の白兎や八岐大蛇などの物語には幼いころから親しんでいました。ただ学校では日本に神話があることすら習っていませんでしたから、古事記そのものを全部読んでみようと思ったのはもっと後のことです。やはり、アメリカの高校に行ったことが大きな転機だったと思います。
一中学校を出てすぐにアメリカの高校に?
吉木 はい。親戚にキリスト教徒の人がいて、聖書に親しむ環境もあったので、幼い頃から西洋への憧れも強かったのです。そこで、カナダとの国境の真下にあるアメリカ合衆国のノースダコタ州のキリスト教系の現地高校に留学しました。その学年で私はたった一人の日本人でした。日本人がほとんどいない環境のなかで、自ずと自分は日本人の代表として見られていると意識せざるをえませんでした。そして、比較文化を実体験した経験から自分のルーツを強く求めるようになったのです。
アメリ力人で神話を知らない人はいません。例えば、その高校では「公の場でスラング(汚い言葉)を言ってはいけません」と教育されたのですが、スラングの中には聖書の内容を椰楡したものもあり、聖書を読んでいないとそのスラングの意昧が分からないものもたくさんあります。つまり、アメリカ人であれば、キリスト教徒であろうとなかろうと、常識として聖書の物語は皆知っているのです.一方、日本人は平気で「自分は無宗教です」と言ったりします。日本に神話があることすら知らない若者も大勢います。
世界的なパティシエの辻口博啓さんは雑誌のインタビューで、「自分のルーツを大切にすることこそが世界に羽ばたく基だ」と仰っています.自分のルーツは何か.そういう問題意識をアメリカでの生活を経てより強く感じました。悠久の日本の歴史があったからこそ自分は存在する。そして、貧困や紛争に苦しんでいる国がある一方、日本は平和で安定しているからこそ、私たちはこうして豊かな生活ができる。それは長い歴史の風雪に耐えて続いてきた皇室があればこそではないか、と思いました。皇室の有難さをひしひしと感じました。皇室は神話から始まっている。ならば神話を勉強しなければいけないと思ったのです。
そして、そんな意欲が沸いて来た頃、不思議なことがありました。ある日突然、「父の実家の仏壇を掃除しなければいけない」という衝動に駆られたのです。祖父は父が20歳の頃に亡くなっていて私は会ったことはないのですが、昔から「お前はおじいちゃんに生き写しだ」と言われて育ったので、祖父には親愛の念を抱いていました。
思い立ったが吉日。すぐに東京から島根に行き、仏壇を掃除していると木箱が出てきて中に古事記の写しが入っていました。万葉仮名の原文で上中下全巻そろっていました。すると祖母が「これはおじいちゃんの形見だけど、誉絵にやる」と言ったのです。そういうこともあって古事記の勉強への欲求は増し、本格的に取り組みたいと思ったのですが、それには師匠が必要だと思いました。
先述の辻口さんのインタビューには、「人生に持つべきものは三つある。それは人生の支柱となる教えと師匠と同志だ」とも書いてありました。
そこで師匠を探そうと思ったのです。そう思った直後、今では恩師でいらっしゃる竹田恒泰先生にお会いしました。竹田先生が懸賞論文で大賞を受賞なさり、その記念講演を拝聴したのですが、お話がすごく面白くて感動しました。そして、「この人だ1」と思ったのです。講演のなかで特に印象に残っているのがイギリスの歴史家、アーノルド・トインビーの「12〜13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅びてきた」という言葉を紹介された時でした。
しかもトインビーは「百年以内に滅んでいる」と言っている。それは人類の歴史の中で実証されているというわけです。その話を聞いたときは、「戦後日本の教育現場から神話が排除されて60数年経っている。あと40年もない」と危機感を持ちました。そこで竹田先生が講師を務める勉強会「竹田研究会」で古事記の勉強をする傍ら、さまざまな活動のお手伝いをさせていただくことになりました。iお若いのにそういう危機感をしっかりと受け止められたのは素晴らしいですね。
吉木 私たちの世代は神話に興昧がありません。日本に神話ってあったの?というレベルなのです。家でも学校でも教えてもらっていないから仕方がないのですが、このまま、例えば戦後90年を迎えた頃に目覚めて、「あと10年しかない」と思っても手遅れだと思うんです。戦後100年まで約30年前の今がちょうど一世代の長さで、ギリギリ間に合うかどうかという節目に自分はいるのだと思ったとき、この時代に生まれた責任をずっしりと感じました。ローマ帝国に敗戦して滅んだカルタゴという国の運命が今の日本と重なって見えたりもしました。だから今、始めなければいけないと思ったのです。
パリの舞台に立って
ーそれでイベントを企画された。
吉木 はい、平成24年2月11日の建国記念の日に、六本木のクラブを貸し切って「古事記1300プロジェクトライブ」という若者向けのイベントをやりました。
ー六本木のクラブで、という発想は面白いですね。
吉木 これまで神話などまったく興味のなかった若者に伝えるには、「カッコいい」ものにしなければ通じないと思ったのです。それで、13階建てのビルの最上階、夜景の美しい場所を選びました。クラブでのイベント主催なんて、もちろん初体験だったのですが、イベント運営を得意とする大学生たちに呼びかけると、優秀な学生たちがスタッフとして集まってくれました。とはいえ、古事記など一度も読んだことのない人たちばかりだったので、事前に勉強会を開催しました。すると「面白い。いまの日本人にも通じる」など、皆どんどん引き込まれていきました。そこで「古事記は若者に通じる!」という手ごたえを得ました。そして、イベント当日は千人ほど集まりました。
ー千人はすごいですね。みんな若者?
吉木 年配の方も交じっていましたが、多くは若者たちです。
ーどんな内容だったのですか。
吉木 神話をモチーフにした女子学生によるダンス、和楽器の演奏、武術のパフォーマンスなどです。竹田先生にゲスト出演いただいて古事記の魅力を分かりやすくお話しいただきました。ほかにも映画監督の方など、様々な分野の皆さんが協力してくださいました。
一反応は?
吉木 斬新で楽しかったという反応が多くて嬉しかったですね。素直に古事記を勉強したいという若者も多くいて、当日会場に大量に持っていった竹田先生の『現代語古事記』が完売したほどでした。準備段階で、イベントのホームページに載せていた日の丸の国旗を見て「怖い」といった若者もいました。でも何か行動しなければ何も始まらないという思いでやりました。そして、そのイベントがジャパン・エキスポ(*註1)の関係者の目に留まり、パリで行われるジャパン・エキスポに参加することになったのです。
ージャパン・エキスポにいたる準備はいろいろ大変だったようですね。
吉木 はい。詳細は月刊『VOICE』(平成25年1月号)に寄稿いたしましたが、スタッフ全員の渡航費も含めた資金集めから企画、渉外まで全部やりました。実質1か月の準備期間でした。
ーその大車輪の活躍によって、ついに神話を伝える歌姫としてパリの舞台にデビューされたわけですね。
吉木 ジャパン・エキスポでは、アメノウズメノミコトの舞をテーマとしたダンサーの踊り、神話に由来する日本の美しい情景を映像で流しながらの笛や三昧線などの和楽器の演奏を行いました。私も「佐久弥レイ」という芸名で、古事記をテーマとした曲を歌と踊りで披露させていただきました。
ー自作の曲ですね。
吉木 作詞は自分でしましたが、作曲はプロの方にお願いしました。古事記をテーマにしたポップ調の音楽があれば若者に伝わりやすいかもと思いついて、日本の神話を婉曲的に表現した詞を書きました。アイドルグループなどにも楽曲を提供されているアニメソングの作
曲家の方に思い切って作曲を依頼したところ、「コンセプトが面白そうなので」と引き受けて下さって、和のテイストを持ちながら現代的で聴きやすい曲を作ってくださいました。タイトルは「ひとつの物語り」です。日本は現存する最古の国で、神話の時代から一回も断絶することなく連綿と続いています。例えば、スサノオノミコトに由来する「須賀」という地名が今も残っていたりするわけです。この曲を通して、神話が現代につながっているということを伝えたかったのです。
アメリカの大学に通っていたとき、宗教学の教授が「キリスト教では洗礼を受けて初めてキリスト教徒になる。神の子はイエスキリストただひとり。ところが日本人は日本人として生まれた時点で皆,神の子である。それが神道であり、神と人間に血縁関係があるのは日本だけだ」と講義をしていました。
それを聴いてなるほどと思いました。神話の時代から今に続く一つの物語。それが私たち日本人のルーツなのだという思いをこの歌に込めました。
ー反響は?
吉木 「ブラボー(Bravo)!」「トレビアン(Tres bien)!」などの歓声と拍手が鳴り止みませんでした。1万人の観衆の熱気を感じ、胸がいっぱいになりました。
世界に通じる古事記の精神
吉木 私は古事記には世界に通じる精神があると思っています。小学生の頃、どうして戦争はなくならないのだろうと考えたことがありました。以来、折に触れて考えてきてやはり一神教の排他性が大きな原因のひとつだと思います。戦争には様々な要因がありますが、宗教戦争という側面は大きい。例えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、もともと一つなのに争いばかりしている。一方、日本で宗教戦争は一度も起きたことがない。日本は古来、各地で様々な神様を祀って来ました。伊勢、熊野、熱田、出雲等々、それぞれの神様を祀り、それぞれの信仰があった。ところが古事記を編纂したときに、これらの神々を一つの物語にまとめてしまったのです。これはもう人類史の奇跡だと私は思います。
一神教は相手を潰します。神道は共存します。だから八百万の神々となったのです。私たちは自分たちのルーツにもっと自信を持っていいと思います。
一やはりアメリ力での体験が大きかった。
吉木 大きなきっかけの一つとなりました。比較文化の体験は自分自身に気づくきっかけをより多く与えてくれると思います。日本人なら当たり前の何気ない習慣が外国の人に感銘をもって受け止められるということがあるのです。たとえば、「いただきます」という習慣。ホームステイ先では食事のとき、キリスト教式のお祈りをするのですが、私は、そのお祈りの後、つい「いただきます」と言っていたんですね。もちろん無意識なのですが、言わないと落ち着かない。あるとき、ホストファミリーから「それ、いつも言っているけど何?」と聞かれました。そこで、「食べることは生き物の命をいただくことだから、感謝して『いただきます』と言います」と説明しました。キリスト教では、食物を与えてくださった神様には感謝しても食物そのものへ感謝することはない。一方、日本では食物そのものに宿る神様を拝むわけです。すると、「そんな考え方があるのね」と驚きつつ、非常に感銘した様子でした。
実際、そのホストファミリーとは日本へ帰国した後も連絡を取っているのですが、「あなたが日本に帰ってからも私たち、『いただきます』って言っているのよ」と電話で言っていました.私たちの何気ない行動が世界に感動を与えることがあるのです。
震災のときの被災者たちの秩序正しい行動もそうでした。古事記には荒ぶる神がたくさん出てきますが、日本人にとって自然は恵みを与えてくれると同時にときに恐ろしい災いをもたらすこともある。日本人は自然を敬い、そして正しく畏れてきました。畏れるべきものを敬って祀ってきたのです。そういう自然への姿勢が日本人のDNAに流れていて、自ずと行動に現れてくるのだと思います。
さきほど日本の若者は「無宗教です」というと言いましたが、アメリカ生まれアメリカ育ちの従兄弟が、日本に遊びに帰ってきたときに「日本ほど宗教的な国はない」と言っていました。ぶつかったらきちんと謝るとか、順番に整然と並ぶとか、そういう道徳的振る舞いが息を吸うがごとくにある、と。もともと「宗教」という言葉のラテン語の語源「レリジオ(religio)」には、「神の前に敬虔な態度を取る」という意味があります。我々日本人にとって当たり前のことが実は宗教的な態度だったというわけです。
ーそういう日本人の振る舞いの原型が古事記にはあるわけですね。
吉木 古事記には日本人の生活習慣やものの考え方など、日本人の気質が神々の物語として語られています。日本人はなぜお風呂好きなのか、なぜ勤勉なのか、などといったことも古事記を読めばよく分かります。ヨーロッパに行くと、ホテルの植木に平気でコーヒーカップなどが捨ててあります。返しにいくのが面倒だったのでしょう。パリの地下鉄の汚さは有名です。一方、日本人のきれい好きは、禊の精神から来ていると思います。イザナギの命が禊をなさったのが最初です。また、日本人の勤勉さは、最も尊い神様でさえ働いておられるのですから当たり前ですね。
天照大御神は、稲作と機織をなさっています。衣食住の衣食ですね。実はそのことに関連して、昨年の新嘗祭の翌日、あるイベントを行いました。日本の祝祭日の多くはもともと皇室と稲作に関わっていました。
戦後それがGHQによって違う意味の休日に変更させられたのですが。例えば11月23日の勤労感謝の日は、本当は新嘗祭をお祝いする日です。新嘗祭はその年に収穫された稲穂を神様に捧げるお祭りですが、天皇陛下は、新嘗祭が終わるまで新米を召し上がることはありません。
昔は日本人皆が陛下に倣ってそうしていたのです。神様に初穂を捧げ感謝申し上げた後、初めて食べることができた。そこで、その意義を守り伝えようと思い、昨年の11月24日、学生の仲間たち35人で「新米体験パーティ」を行いました。
ゲストに竹田先生、そして特別ゲストとして"昭和天皇の料理番"谷部金次郎先生をお招きしました。竹田先生からは新嘗祭の意義についてご講話をいただき、谷部先生からはお米のありがたさと昭和天皇のお米にまつわるエピソードなどをお話いただいた後、実際に、
お米の正しい炊き方を御指導いただきました。お米の洗い方、土鍋での炊き方、そしておにぎりの握り方まで御指導いただきました。そしてそのおにぎりを一口食べたときの皆の表情が忘れられません。「えっ、お米ってこんなにおいしかったの?」と。本当においしくて。今年はもっと規模を大きくしてやりたいと思っています。
一ぜひ全国各地に広がってほしいイベントですね。
吉木 はい、そうなればいいなと思っています。イベントで頂いたお米は愛媛県の竹田研究会のメンバーが丹精込めて作った新米を送っていただきました。イベントには愛知県の竹田研究会のメンバーも参加していたのですが、彼らはこの一年稲作を初体験した上での参加でした。背丈ほどもある草を刈って石をどかす田起こしから始めて、収穫までやり遂げた。私は神職の資格をいただいておりますが、愛知の皆さんが私を呼んでくださって、そのお田植え祭のときに祝詞を奏上させていただきました。稲作はそういった苦労の上にあるのだと、身をもって体験したことは貴重なことだ
稲佐浜にて。出雲大社からすぐ近くの浜で、神在祭を行う際に、全国の神様をお迎えする神迎えの祭が行われる場所だったと思います。彼らの苦労に報いようと私も早朝に35人分のお味噌汁と玉子焼きを作りました。
ーTPP交渉もありますから、日本の稲作文化の価値を改めて認識しなければいけませんね。
吉木 そうなんです。お米と神社と、あと捕鯨は何としても日本人が守らなければならないものだと思います。
日本人のアイデンティティを確認する日
一さて、間もなく建国記念の日を迎えます。どのようなお気持ちで迎えられますか。
吉木 冒頭でお話したクラブでのイベントは、2月11日に行いました。その前年のその日は若輩者で恐縮でしたが、大先輩方を前に新潟県護国神社で講演をさせていただきました。そういう奉祝の催しには関わっていきたいですし、自分たちでもとくに若者に向けてアピールする催しは企画していきたいと思います。
最近、祝祭日に国旗を掲げる家が減っているように思います。せめて建国記念の日には家々に日の丸を掲げてお祝いしてほしいですね。そういうところから始めるのもいいのかなと。日本建国の理想は、神武天皇の掲げられた八紘一宇です。日本は一つの家族なのです。この理想をお互いに確かめ合って、良い国に生まれたなあと感謝する日でありたいと思います。私は今大学院で、宮沢俊義博士が提唱した「八月革命説」を研究しています。宮沢博士によると戦前と戦後は法的に断絶した国家だというのです。しかし、それは違います。八月革命説は、東京裁判と同じく、戦後日本に愛国心の欠如という大きな病を残したのではないでしょうか。しかし、神話に由来する万世一系の皇室の伝統は連綿として受け継がれ、今も私たちを見守ってくださっています.他国とは違う日本らしさとは何かということに思いを致し、日本人のアイデンティティを再確認する日でありたいと思います。
一とくに今年は、昨年の伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の大遷宮を終えて迎えた初めての建国記念の日です。
吉木 そうなんです。神武天皇が大和平定をお果たしになり、天照大御神様をお祭りなさったのが、新嘗祭、大嘗祭の始めともいわれていますから、天照大御神様が新宮にお遷りになって常若(とこわか)を保たれた後の建国記念の日は気持ちも新たに迎えたいですね。出雲大社の大遷宮の遷座祭には残念ながら行けなかったのですが、11月の神在祭(かみありさい)(*註2)には行くことができました。稲佐の浜から全国の神々をお迎えします。浜から出雲大社への神迎えの道もあります。出雲大社には幼い頃から年に一度は必ずお参りしているのですが、いつもと違うなと感じました。古事記神話の3分のーは出雲の物語で、神話ゆかりの地名も多いので、私は出雲が大好きです。
伊勢神宮には遷御の儀を終えて迎えた神嘗祭の日の夜に参拝いたしました。遷御の儀の日取りは神嘗祭の前と決まっています。なぜなら、神嘗祭が遷宮のフィナーレだからです。闇を月明かりと忌火が照らす中、伊勢の神宮にいると、正に神話の世界がここに息づいていると実感しました。
式年遷宮には日本の和が体現されていると思います。日本の自然観は円のように終わりがなく生命が循環しています。それは西洋を石の文化とするならば、日本は木の文化といってもいいと思います。
式年遷宮は20年毎に社を立て替えるわけですが、その古材は、全国各地の神社に引き継がれていきます。また300年先の遷宮の為に植林も行われています。自分が死んだ後の世代のことまで考えて木を植えている人たちがいる。感動します。
今回の式年遷宮は大勢の方々の神宮への篤い崇敬の思いがあって実現したわけですが、それを私たちが引き継がなければならないと強く思いました。20年後の式年遷宮の、中心的役割を担わなければならないのは、私たちの世代です。
東京五輪の開会式(セレモニー)はぜひ日本神話をテーマに入れた企画にしてほしい。果たしていまの若者たちの意識のままで斎行できるのか。そういう危機感をもって古事記の世界についての啓もう活動を続けて行きたいと思います。
ー益々のご活躍を期待しています。ところで、芸名の「佐久弥レイ」は、木花之佐久夜毘売(*註3)に由来するものですか?
吉木 はい、その通りです(笑)。本当に人生ってどう展開するか分かりませんね。今の芸能のお仕事もたまたまこういう流れになってしまって自分でも驚いているのですが、とにかく「若い人に神話を伝えなきゃ、日本が滅びてしまう」という思いで懸命にやっていたら気が付いたらここにいるという感じなんです。そうそう、東京五輪の開会式はぜひ日本神話をテーマに入れた企画にしてほしいと思うんです。
2020年は日本書紀1300年という記念の年でもあります。日本を世界にアピールする絶好の機会ですから、ぜひとも日本のルーツとして日本神話を取り上げてほしいと願っています。
ー実現するといいですね。本日はありがとうございました。
(*註2)一般に旧暦10月を「神無月」というが、これは全国の村々里々にお鎮りの神々が、1年に1度、目には見えない「神事(かみごと)」を司られる「大國主大神」さまがお鎮りになる出雲大社に集われ、人々の"しあわせ"の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされる故事に由来する。それゆえ、古くより出雲地方では旧暦10月は神さまがお集いになる月として「神在月(かみありづき)」という。(出雲大社ホームページより)
(*註3)このはなのさくやひめ。日本書紀では、木花開耶姫。ニニギノミコトの后。火中出産の説話から火の神として祀られるようになり、富士山の守護神としても崇敬されている。
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(*註1)ジャパン・エキスポQ6貰目着o)一パリ郊外を会場に日本の大衆文化、伝統文化などを紹介する海外では世界最大の日本博覧会。2000年にフランス人によって始められ、昨年14回目を迎えた。日本の漫画・アニメ・ゲーム・音楽・ファッションなどのサブカルチャーから武道・書道・茶道などの伝統文化まで多彩な催しで、フランスのみならず欧州各国から約20万人の観客が訪れる。
よしきのりえ
東京都生まれ。慶慮義塾大学大学院法学研究科に在籍中。神職の資格を持つ。平成23年(2011)11月、若者に古事記を伝える「KOJIK11300Project」を立ち上げ、代表を務める。翌24年7月、ジャパン・エキスポにおける古事記のステージでは、総合プロデュースを務め、自身も歌手として「佐久弥レイ」という芸名で古事記をテーマに作詞した楽曲『ひとつの物語り」を披露。その後CDデビューを果たす。以後、女優として舞台でも活躍中。
情報源:日本の息吹
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