平成12年7月10日         一の宮巡拝 第5号
 

 歴史的景観壊す鉄塔  兵庫県川西市 関口 洋
 
六月二十五日、因幡国一の宮宇倍神社に参拝。宇倍神社のご由緒を金田宮司様から承る。明治三十二年に発行された五円紙幣には、ご票神 『武内宿禰命』 の御尊像と宇倍神社の社殿がデザインされている。後背に広がる稲葉山は、平安時代の歌人、在原行平が百人一首を詠み、大伴家持が万葉集に詠んだ由緒ある山里。地元の人々からも千年い以上に亘る]宗敬の御山として知られる。現在の国府跡からの眺めが最も素晴しく美しい。

 残念なことに今年」八月この由緒ある稲葉山に、高さ四十メートルの携帯電話用の中継塔が建ってしまった。自然豊かな崇敬の御山に、真新しい鉄塔と電柱が痛々しい。 人は、便利さを追求してきた二十世紀の 「終篤と反省」を期に、二十一世紀の 「心の時代」を拓こうとする未来に期待している。これはまさに逆行する行為である。

 世界に知られる彫刻家イサム・ノクチは札幌市に広大な彫刻公園 「モエレ沼公園」 のマスターフランを作る際、山を横切る高圧電線の除去を申し出た。また、大通公園を横切る道路の真中に彫刻を置くように指示した。既に出来上がっている公共施設の撤去には大きな問題があった。しかし、札幌市の関係者の懸命の努力で、電線は他を迂回して設置され、交通の混雑を犠牲にしてまで、道路の中央に彫刻は置かれた。市の関係者がイサム・ノクチに大いばりで「よろこんで下さい」と言うと、彼は 「それは私のためじゃない、みなさんのためでしょう」と答えたという。


 

開聞岳の菜の花  神奈川県藤沢市 鈴木由実
 
薩摩富士開聞岳の裾野には菜の花が一面に咲き、青い海に白波が打ち寄せる、南国の春の光を、こころゆくままに感じて、薩摩国一の宮枚聞神社を参拝しました。 拝殿のうしろに開聞岳が見え、途中で見たお山と違い、真近で拝した山容に、古代の人がご神体山と畏敬してきたことが何となく理解できました。菜の花といえば、司馬遼太郎さんが愛した花ときいていますが、開聞岳の菜の花は見事なものです。生涯、私の瞼に記録され消えることはないと思います。 旅で知った一の宮、このような美しい風景を見せて下さった神様に感謝するとともに、機会をつくって一の宮巡拝を心掛けたいと思います。御朱印は、その証で、御神印が増える機会をお与え下さいと、神様に祈っています。


 

灯台元暗し  山口県下闇市 山県 進一
 住吉神社に友人を案内したら長門国一の宮であることを逆に教えられました。灯台元暗しとはこのことです。長州人は、明治に近代日本を開いたという誇りは強いのですが、郷土に諸国とつながる一の宮があることを初めて知り、氏子としての自覚をうながされ、神様を通し改めて古代の日本のことを考える気持ちになりました。考えてみると、何も知っていないでいたことに気づき、我ながら恥ずかしく思いました。先ず全国の一の宮の巡拝を考え、始めようとか、自分にいい聞かせました。そう思うと不思議なもので、何かひろびろとした気になってきました。一の宮の資料がありましたらお教え下さい。


書籍紹介 日本廻国記一宮巡歴 川村二郎著
 日本各地で篤い信仰を集めている全国六十八ケ所の旧国の一の宮を、すべてたずね歩いて得た情報をまとめた一の宮案内である。昭和六十二年の初版である。翌年 『一宮巡拝の旅』 がでて、一の宮巡拝の気運を醸成しはじめた。

 五畿七道全体で六十六ヶ所、そして壱岐・対馬の二島が上国の扱いを受けているので六十八ケ所になる。一の宮の定め方、その数については、いろいろと論議があるが、鎮座以来、そこで崇められ、人びとに守られ、今も生きていることは貴いことである。 安永九年(一七八〇) の石官が、横浜市港北区日吉本町の金蔵寺にあることを著者は紹介している。石塔に日本六十六ケ所の諸国名と、山城国なら 「加茂大明神」と、一の宮の祭神名が刻んである。境内にはもう一基、六十六部日本廻国塔がある。

 聖地をめぐり、石塔に刻んだ先人が歩んだ。橘三喜は二十三年もかけて宿願を果たしている。著者は、柳田国男の言葉を借りて 「いはゆる神いちりの傾きのあるもの」 の道楽にひとしいかもしれないが、と諸国一の宮を歩き、九年間の歳月を費やして綴った。 個人の道楽の気持で、ただ無心に、負担のかからない所から一の宮を巡拝すると、いつしか「こころざし」となる。    (河出書房新社一八〇〇円)