国民を守れない憲法 中山恭子 参議院議員(次世代の党)

 
☆女性の方々からの心配の声に答えて

 
さきほど櫻井先生のお話を伺いながら、私も50年前になりますが、西洋文明のことをこの目で確かめたいと、フランスに短期留学した時のことを思い出しました。アジアやアフリカからの留学生が自分の国のことを誇らしげに語っていたのをはっきりと覚えています。

 憲法については、私は当時から恥ずかしいと感じており、彼らに語ることはできませんでした。そのころから、憲法を何とかしたいとずっと思ってきましたので、憲法改正についてようやく語れる時がきたとうれしい限りです。

 憲法改正について口にすると、「でも戦争になるんじゃないの?」「戦争できるように改正するんじゃないの?」という心配を本気で私にぶつけてくる女性の方々がたくさんいます。それほど戦後長い間、プロパガンダがなされてきたということかもしれませんが、そんなとき、私は、「話は逆です。現行憲法のままでは戦争になる可能性が高い。現行憲法では国や国民を守れませんよ」というようなお話をしています。

 私自身、現行憲法では国民を守れないという残念な思いを経験したことがあります。その体験を2つ、お話したいと思います。


 
☆中央アジアでの日本人人質事件と北朝鮮による日本人拉致事件

 平成11年(1999)8月、私は、中央アジアの国、駐ウズベキスタン共和国、兼、駐タジキスタン共和国の特命全権大使として赴任いたしました。その直後に隣国キルギスでイスラム原理主義グループに日本人鉱山技師4人が拉致されるという事件が起きました。 事件発生後すぐに彼らは被害者を連れてタジキスタンの渓谷に拠点を移しました。

 敗戦後の日本は海外で日本人が被害に遭ったとき、事件が起きた国にすべてお任せするとの方針をとっておりました。そこで、このときも犯人も被害者もタジキスタンに移動しているにもかかわらず、事件の起きた国、犯人も被室暑もすでにいないキルギス政府にすべてを任せるというのが日本政府の方針でした。

 しかし、人質救出には、犯人グループに影響力のあるウズベキスタン、タジキスタン両国政府の協力は不可欠でした。私は、主人、中山成彬に相談しました。彼は、「パーセントでも救出できる可能性があるのなら救出に当たるべし。それが大使の仕事だろう」と答えてくれました。

 そこで私は、政府の方針とは異なりましたが、国際社会のル〜ルに則って救出活動に当たりました。ウズベキスタン政府、タジキスタン政府、さらにタジキスタン政府と内戦中のイスラム復興党の人々の協力を得ることができました。嬉しかったのは、大使館の若い職員たちが昼夜を分かたず尽力してくれたことです。

 そして、2ヵ月後、4人を無事救出することができました。この事件解決後、中央アジアのなかで、日本に対する信頼が確たるものになったということを実感しました。そ
れは中央アジアの人々がこの地域で日本人が被害に遭ったら、日本という国は大使が命懸けで救出に当たる国だと分かり、日本に対して大いに安心感を持ったからです。

 
自国の領土を守り、国民を守るとの確たる国家の意思を持っていなければ、国際社会でその国は信頼されず、相互の友好関係も結べない、ということを確信した体験でした。

 もうひとつは北朝鮮による拉致の問題です。日本は北朝鮮によって拉致された多
くの被害者をまだ救出できずにいます。なぜ日本は他国の工作員が日本国内に、潜入し、自由に活動し、日本人を襲い、拉致するのを防げなかったのでしょうか。

 
日本政府は、日本人が北朝鮮に拉致されているのがわかっていながら、なぜ救出しようとしなかったのでしょうか。放置してしまったのでしょうか。なぜ、日朝国交正常化のためには拉致被害者が犠牲になってもしょうがないと政府は考えたのでしょうか。私は、被害者5人が日本の土を踏んだ時、「5人を日本に留めるべし」と主張いたしました。

 
「国民を守ることは、日本政府の基本的な役割です」とお願いいたしました。そのようなことを主張しなければならないこと、お願いしなければならないこと自体、非常に情けないと思っておりました。

 
☆自主憲法制定を目指して

 
なぜ、こんな情けない国になってしまったんだろう。つきつめると、それは日本国憲法に行きつきます。今年、敗戦70年を迎えますが、日本は敗戦のくびきからまだ脱していません。昨年2月、超党派の議員連盟「占領のくびき研究会」を立ち上げました。 
 占領下での言論統制など専門家をお呼びして議論を重ねてきました。第1回のテー
マは「日本国憲法の制定過程」でした。研究すればするほど、自主憲法を持ちたい、という強い気持ちがますます湧いてまいります。

 また、昨年5月には、自主憲法研究会を設立し、読売新聞、産経新聞、日本青年会議所、自民党の各憲法草案、そして江口試案(江口克彦参議院議員の憲法改正試案)、さらには大日本帝国憲法についての調査を行い、憲法草案のたたき台を作成し始めました。

 11回の会合を重ねておりましたが、そこで衆議院の解散総選挙となり、作業が中断してしまいました。次世代の党は、ほとんどがこの自主憲法研究会に参加していたメンバーで成り立っています。

 衆議院選で多くの仲間たちが野に下ってしまったことは残念でございますが、今年2月には、次世代の党で自主憲法起草委員会を立ち上げました。日本の歴史、伝統を踏まえた国民自らの手による自主憲法草案を提示すべく、いま精刀的に作業を進めております。

 次世代の党の基本政策の第一は、国民の手による自主憲法の制定です。そのための党だと考えていただいて大丈夫でございます。自主憲法が成立するまで、皆様と手を携えて頑張ってまいります。(本稿は第17回公開憲法フォーラムでのこ提言の抄
録・要旨を校閲いただいたものです〉
情報源=日本会議H277月号