平成13年4月10日火曜日       −の宮巡拝       第8号
 

アメリカ青年と 一の宮巡拝の出会い     愛知県小牧市 大谷武司
 
今、時刻は十九時半、こんな時間に輿止日女神社の社務所兼自宅で御朱印を頂いている。 今日は壱岐の天手長男神社から四箇所参拝した。輿止日女神社は十三時頃に参拝したが、宮司さんが所用でお見えにならなかった。「九州まで又来ます。」なんて訳にも行かないので再度お尋ねし、ひたすら一時問半待ち続けこんな時間になってしまった。 宮司さんも申し訳なかったとのことで、お茶を勧めて下さリ特別に丁寧に書いて下さっている。その時電話が鳴り、奥様が出られると、今から久留米から車で御朱印を頂きに行く。」 と、女性からの連結との事。 「その方も多分昼間みえて御不在だったので来られるんだと思います。千栗八幡宮でその方と思われる参拝連絡の電話を聴いてました。高良大社まで行かれたんだと思いますよ。私は今まで一の宮参拝の目的以外の御朱印受拝者とお会いしたことがあるが、同じ様に参拝している方には行き違い等でお会いしたことが無い。こうなったら何かのご緑でお会いしたいので外で待ってます。」と話した。

 「久留米からだと−時間近くになります。」と奥様が言われたが、「大丈夫です。待つことは慣れてます。」と答え、外の隣接の町営駐車場へ戻hリ、再びひたすら待つことにした。 こんなに夜遅くに御朱印を頂くのも初めてのことであるが、後を追うように来る人が居たということで、仲間に会って話しをするという気になったのも、始めてのことだった。 町営駐車場で待つ間に、どんな人が来るのか楽しみで勝手な想像もしていた。 八時半まで待つと一台の軽自動車が駐車場へ入って、若いカップルが降り立ち、社務所へ向かわれようとしたので、「夫婦連れなのか。」それにしても参拝するには若すぎるから神道関係者かなと思いながら、「一の宮参拝の方ですか?」と声を掛け近寄ったところ、一人はなんと外国人男性だった。

 「はい。」と答えた女性が、 「参拝しているのはこの方で私は付添いです。」とのこと。
 「私はオートバイで一の宮参拝していて、同じ目的で参拝している方にお会いしたことが無かった。今日の三時近くに干栗八幡宮へ電話連結をされませんでしたか。後を追うように参拝されている方が居ることを知り、出来ればお会いしてお話しをしたかった。」と伝えたところ、外国人男性が、「私も是非、八イ」と日本語で賛同された。 「私はここで待つていますので、先に御朱印を頂いて来て下さい。」と伝え、二人は社務所へ向かわれ、十分もしないうちに帰ってきた。そして、夕食はお互いに未だだったので、戻リ道の佐賀大和インター辺リで食べながら話す事となった。帰リ間際に、與止日女神社の奥様が声を出して走ってきて、今日は待って貰って本当に申し訳なかったネエ。」これを持って帰って。」とミカンを下さリ、お礼を言ってお別れした。

 軽自動車を先頭に、長崎自動車道佐賀大和インターチエンジ付近まで来ると、なんとラーメン屋の駐車場へ誘導された。車から降リる二人に 「ラーメンなんていいの?」 「だいじょうぶです。彼も食べられます。先へ進んでも店が判らないから、ここにしましょう。」となった。

 彼はアメリカ人で、前に東京に住んでいて、どうも留学でもしていたらしい。その時に関東周辺の一の宮へ観光ツアーで参拝したらしく、それから一旦アメリカへ帰られたが、一の宮を全部廻hリたいとの思いから、再度来日したとのこと。今はどうも話しの内容から、島根県の中学校の英語教師を一年契約でしているらしく、来年度の契約更新は決まったとの話しだった。初対面で、あまりずうずうしく尋ねるのは失礼かと思い、深くは尋ねなかった。また、彼女との関係も聞かなかったが「友人関係」と紹介された気がする。 彼とは勿論、一の宮の話題のやりとりが有って、「全国一の宮会」の存在や神道関係の参考になる存在のあることや様々話し、彼は彼で今回は柞原八幡宮を参拝したが、西寒田神社の位置が判らずに参拝を断念したことを話された。

 突然、外国人が社務所へ来て「御朱印をお願いします。」 と言うので神社の人が驚かれたというエピソードや、常々も神社の前を歩く時は、鳥居から社殿に向かって前に立ち一礼する等、日本人以上に日本人の心を持った外国人だと驚いた。 そして、その時の私は出雲大社の参拝を最後に終えたいと考えていたので、山陰に行く時は彼と会う約束をし、彼が東海道を参拝する時は我が家に泊って貰うよう約束した。過去に、奥さんがタイの女性、娘が中国人等と外国人が泊ったが、英語の話せないお父さんが外国人の友達を連れてきたとなると、きっと我が家の外国人かぶれの家族は驚くだろうと想像すると実に愉快な気がした。

 お互いの今後の連絡先等を交換することになり、私は名刺を渡し、彼には名前の裏へ住所等を書いて貰ったが、丁寧な書き方や日本人以上の漢字の巧さにピックリ仰天した。名残惜しいが、今夜、彼は菊池市に泊ることで、「私は明日は阿蘇神社から参拝する予定だから熊本に泊ろうかなと考えている。途中まで一緒に行って別れましょう。」と話し、ラーメン代を私が支払い、彼等に途中のサービスエリアでコーヒーをおごつて貰う約束をした。

 彼達の軽自動車を先頭に長崎自動車佐賀大和インターから久留米ジャンクションを経由して九州自動車道に入り、時速九十キロ程で北熊本サービスエリアまで直行し到着する。時刻は十時を過ぎレストランも終了していた為、缶コーヒーをよばれた。「折角だから写真を記念に撮リましょう。」ということになり、ベンチに腰掛け三人でお互いのカメラで撮った。再び軽自動車を先頭に菊水インターまで走るが、手前二キロの表示の所で、今度は私が前に出て大きく手を振ってお別れし、熊本インターまで向かった。

 この出会いから、アメリカ人には開拓民としてのフロンティアスピリットがあり、日本人には大和魂とかがあるが、うかうかしていると神道も開拓されて、今にアメリカン神道が生まれ、敬虔なクリスチャンも何年後には本家を凌ぐ勢いで神道に宗派替えして、一の宮巡拝に訪れるような気もした。 二百年の歴史のアメリカは過去を求めて要る。その求められる過去からの固有の遺産を我々は守り通さねばならない。 このキッドさんとの出会いから、「本家が負けないように頑張らなければ。」という気持ちが奮い立った。

 ちょっとした自己紹介  島根県 タステイン・キツド
 私はアメリカのオレゴン州の出身です。二十三歳。一九九八年秋に日本に来て、島根大学で留学しました。多分、島根に来たので、神道に好奇心を持ち始めたのではないかと思います。いろいろなことで、諸国一の宮に興味を持ちました。 まず、出雲の国の出雲大社が身近にありました。熊野大社もそうでした。留学の途中、仙台の知人に誘われ、関東地方の神社巡りに行きました。行った神社の中で、香取神宮、鹿島神宮、諏訪大社と浅間大社に行きました。まだ、その時は一の宮のことは何も知りませんでしたが、だいぶ後で隠岐の水若酢神社に行ったら、「全国一の宮巡拝」と「全国一の宮鎮座地」を見つけた。よく見たら、「あれっ!あっちもこっちも行ってるんじゃないか。」と思いました。それで本格的に参拝を始めました。

 しかし、留学は一九九九年の九月に終わりました。「もし日本に戻ったら、全部参拝したいですね」と決心しました。 そして、去年七月に島根県伯太町教育委員会から誘いがありました、現在英語指導助手として働いています。今のところでは三十ケ所以上参拝しました。それともう一つの面白いことがあリます。 私はワシントン州の大学に行っていました。卒業する前にシアトルの神流(かんあがら)神社のことを知り、パリッシユ宮司さんと会うことができました。 『一の宮巡拝第二号』に彼のことが書かれていて驚きました。神様の働きを感じますね。


 

書籍紹介  季刊悠久 「一宮の信仰」第84号
 鎌倉の鶴岡八幡宮が編集している季刊 『悠久』誌の八十四号の特集は 「一宮の信仰」。写真家故金森盈氏の作品である 「全国一の宮稲作儀礼」からはじまり、「一宮制の成立と概要」 「中・近世における諸国一宮制の展開」 「橘三喜と 『一宮巡詣記』」 の論文から、「全国一の宮会」幹事長伊勢国一の宮椿大神社山本行隆宮司の一の宮巡拝運動の展開などについての随想なども、要領よ く編集されいる。

  資料として、全国一宮の社名・鎮座地・祭神・年中祭祀 要覧も掲載され、一の宮に関心をもたれる人はぜひ見ても らいたいものである。また、同誌はこれまでに全国の「一宮祭礼記」を連載しているが、秋には単行本化される。また、ドイツの製薬会社の広報誌「インゲル八イマー」に連載中の一宮ノオト」も取材を終え、単行本となるなど一の宮巡拝推進の環境が整ってきている。 『全国一の宮御朱印帳』 が刊行されてから、巡拝者の数も増して、すでに完拝した人もいる。日本人の失われたものを取り戻すオアシスが一の宮巡拝の行為である。『悠久』発行所 おうふう 電話〇三・二三九五・八七七四