いきいきかがやく女性たち(壱岐日報H17.5.20)
一第44回−
日本と韓国を 結ぶ架け橋に
石田町
金庸國(キムヨングク)さん
田中裕子夫妻
韓国ドラマ″冬のソナタ″が火付け役となり、韓流ブ−ムが続いているが、そのブームが起こる数年前、韓国に語学留学をした平田裕子さん(27)は現在、石田町の改善センターで月に2回、韓国人の夫・金庸國(キムヨングク)さんとハ′ングル語講座を開き、人気を呼んでいる。 「日本と韓国を結ぶ橋になりたい」と話す平田さんと夫のキムさんを自宅へたずね、話を聞いた。
▼韓国との出会いー自分の居場所を探して
短大で寮生活をしている時、日本語も英語も話せない韓国人の女性に出会ったのが韓国語を勉強しょうと思ったきっかけで、短大を卒業後、釜山の少し北にある慶北大学の外国人のため韓国語コースに一年間通いました。その頃の私は、韓国で語学を学びながらもう一方自分の心の中にある、ざまな思いを解決する方法、自分の本当の居場所をさがしていました。 子どもの頃、いじめにあって不登校になったことや、いろいろな悩みからうつ病になりかけたこともあり、そういった自分の内面を解放したいという強い思いがあり、友達と旅行やカラオケをしたり、いろんなことをやってみたけれどダメでした。
韓国に行けば″何か″を見つけられるかもしれないと思ったけれど見つからず、「もう死ぬしかない」とまで思い詰めた時に、大学で働いている人でキリストを伝えている人に出会い、教会に通い始めました。
▼クリスチャンになって
教会に通ううちに、それまで抱え込んでいた自分の内面が解放され、ようやく自由になることができ、それは、私が求めていたものに出会った瞬間でした。 そして韓国で洗礼を受けクリスチャンになり、一年間の語学留学を終え、いったん壱岐へ戻り、壱岐アルバイトをしながら、宣教師になるための神学校を探していました。この時に壱岐で初めてハングル語講座を開いたんですが、当時は今のような韓国ブームがくるとは思ってもいませんでした。
▼夫・キムきんとの出会い
韓国で私にキリスト教を伝えてくれた人が、韓国の神学校を紹介してくれ、その神学校に入学、そこで当時4年生だつた夫のキムさんと出会いました。
神学校にはいろいろな国から学生が来ていました が、日本人の 女性は一人だ けで、夫が言 うには、「い ろいろ苦労しているようだったから助けてあげたくて、世話をしているうちに情がうつった」そうです(笑)。 翌年に結婚し、夫は大学院に通い、私は大学を中退Lて、日本語の塾や家庭教師をして働きました。
▼互いに理解しあうこと の大切さ
結婚には、どちらの親もまず驚き、特に夫の親は反日感情があり、反対は大きかったです。でも結果的には理解して認めてくれました。
竹島や教科書問題で、今また反日感情が韓国でも高まっているようですが、「知らないこと」が大きな誤解や偏見を生んでいて、それぞれにもっと互いを知ることが必要だと強く感じます。 私自身、学生の時に韓国の独立記念館で日本軍の拷問の場面を模型で見て、大きなショックを受けました。でも一つひとつ事実を知り、受け入れることが、韓国を理解することにつながっていきました。
▼まずは小きな交流から
先日、韓国から観光で壱岐に来た知人が、美しい自然と伝統に触れ、とても満足して帰りました。対馬は風土が韓国とよく似ているそうですが、壱岐はそういった意味ではとても日本的で、韓国人にとってはおもしろいそうです。 壱岐と韓国の人が交流することは私たちの夢です。”人と人との小さな交流が、二つの国の誤解を解くことにつながる″、そのために私たちが掛け橋となることができれば、と思っています。
福岡ー釜山を往復している高速船が壱岐に寄港することになればいいですね。夫のキムさんは韓国で大学院と教会の伝道師という忙Lい生活から体調を崩し、壱岐で家族と過ごしたり、新しい環境を体験してみたいとの思いで、休養をかねて休学して裕子さんと壱岐に帰ってきた。 キムさんは「私は日本が大嫌いでしたが、妻と出会い、日本に住んでみて、日本に対する思いが変わり、今では日本を愛しています。韓国では、伝道師として教会で中高生を教えていましたが、これからは韓国の子どもたちに広い世界観を持つように−と、育てたい」、と話してくれた。
古くから大陸との掛け橋としての役割を果たしてきた壱岐の島だからこそ″何か″ できることがあるのではないだろうか。 文化、歴史、事実−正確に伝え合い、理解しようとする心−と、少し考えさせられる取材となった。
参考:昨今の日韓の関係は憂慮すべき状況になりつつある。私も、昨年ソウルを訪れ、下記URLにある平和祈願行に参加しました。そして、ソウルの独立の記念公園にも行きました。裕子さんが指摘されている想いと同じでした。人と人との交流が多くあれば争いは起らないと実感した旅でした。福岡⇔プーサン間には高速艇も就航しているという、すでに国境は無いに等しい、諸外国をみれば異国間の交流は普通のことである。壱岐市の誕生も、このような国際交流の推進を支援する環境にあると思ってみている。後は島民の意思一つでないでしょうか。壱岐は大陸から見れば、漢書にあるという蓬莱島(壱岐卜部氏の情報)と言われているとも。
参考のためにその時の様子をご覧ください。全ては壱岐国ルネッサンスから始まりました。
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/HosenjiChaku.htm
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/KoreaKigansai.htm
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/ShainoJi.htm
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/JinsinWaranHoyo.htm
(東京雪州会副会長、竹富鉄一)
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