人生はドラマ・・・その二
情報源:壱岐高創立記念祝賀会で参加者に配布された本(地獄からの脱出)のプロローグから転載
それは中学生への講話からはじまった この本を作るきっかけともなった主人公の大宝グループ会長・野田武臣が、ふるさと壱岐市の渡良(わたら)中学の修学旅行生に対し、初めて自らの口を開いて語った半生は次のようなものだった。君達と同じ中学を卒業して、今は年間80〜90億円の仕事をしています。その間、どんなにツラいことがあったか、を今はじめてしゃべります。 中学を出てから大阪の鉄工所に入りました。腕に職を付けようとして入って、3軒位を転々としました。その当時は豊富な食べ物もありませんでした。会社を代わる時は、1ヵ月しないと給料がもらえない。仕事はしているのに、金はない。2、3日水だけ飲んで働いたことが何度もありました。鉄工所の昼休みは1時間ありますが、公園で水だけ飲んで飯を食ったようなふりをして仕事場に戻る。これが最初の苦しみでした。 24歳の時、一人前の職人になって機械を買って独立しました。銀行にローンを返済するため、寝ずに働きました。畳に横になると2、3時間は寝入ってしまうので、椅子で10、15分だけ仮眠して、また起きて働く。これが3年くらい続きました。それでも30歳になった時、会社は潰れました。残ったのは何千万円という借金です。倒産して2ヵ月くらいは腰が抜けたようになって家で座ることも出来なくなって、ショックで寝込みました。まったく立ち上がれませんでした。 3ヵ月くらいしてから、前向きに考えないといけない、これじゃアカンと思って不動産の世界に入りました。その時、徹底してやった15分睡眠の徹夜の連続が今日につながっているんです。自分は真面目に仕事をしても、日本全体の景気不景気は必ず来ます。国会と日銀や役所が景気を引き締めたり緩めたりする。そういうことが分かってきたのです。そのための勉強も10年くらいやりました。経済というものの全体が分かったのは、40歳の時です。 "いくら一生懸命真面目にやっても不景気な時に事業を始めれば必ず潰れる。一方で景気のよくなる手前から事業をやれば必ず伸びる"とわかったのです。 大事なのは学校の成績より、自分の仕事のシステムをキチンと作り上げること。それには先輩の話をよく聞くこと。年上の人は必ず何かを持っています。そして大事な事は、それらを聞いて最後は自分で判断すること。具体的には、上の人に "おはようございます" とあいさつするだけでなく、何か一言を付け加える。人生は常に勉強する姿勢が大事なのです。 自分が正しいのかどうかの判断は素直でないとできません。そうなると大事なのは精神力ということになります。”自分が身に付けられることは何かないか?”と常に考えることです。 4 武臣はふるさとの中学生が大阪の会社を訪ねてくれた時、何かが吹っ切れたようだ。それまでは「誰にも話さず人生の最後まで独りで背負っていく」と決意していた思いをこの一冊の本として残すことにした。他人が読めば、単に波欄万丈のおもしろい人生だが、本人は「よく〃もう一度若いころに戻りたい〃という人がいるが、私は二度とご免だ。あのころの苦労は筆舌につくしがたい」と顔をしかめる。 野田武臣の歩んだ半生は・戦後の日本人が復興へと力強く進んだ足跡と重なり合う。時に万国博覧会をピークにして咲き誇った大阪経済の歴史そのものでもある。 「地獄からの脱出」製作委員会 |