ダライラマ14世法王の講話「慈悲の力」を聞いて
講話題目 慈悲の力「Power of Compassion] ダライラマの紹介、作家:吉本バナナ:世界平和と非暴力、愛の力などに、どれほど我が人生が救われたか・・・と、また、世間には日本の文化史上考えられないような事件が起こっている。マスコミはこれらを面白く、おかしく報道してくれるが事の本質を考えない報道は、人々の心をミスリードすることになり大変危険であるように思っています。きっと法王のお話は皆さんの心に勇気を与えてくれると思います。 講話 私は、ただの人間です。偉くも、力もありません。人間は西洋人も、東洋人も心は同じです。私は今年で68歳、今まで修業してしてきた結果が皆様のお役に立つかどうか分かりませんがお話いたします。後で、Q&Aの時間を取っていますのでどしどし反対の意見を出して欲しい。今日は特に若い人のために話します。 未来は若い人たちのものです。未来を背負う人たちへ 愛について。 愛の反対語は“怒り”“怨み”であり宗教はこの怒りの心を鎮めるために忍耐・満足を得るために愛を説いている。宗教にはその愛を創造主に救いを求めるものもあるが仏教にはその創造主はいない。人間にとっては、宗教は人類共通の救いを求める要素になっているが今では宗教は相互依存関係を余儀なくされており、ますますその傾向は強くなっている。今日は宗教を離れて慈悲の力について話します。 母の愛 人間は一人では生きては行けない。人と人との愛情なくしては生きて行けない。 子供の成長はメデイカル・サイエンスの実験で証明されており、生まれて数週間の母親のぬくもり【抱いて母乳を与える肌のぬくもり】、家庭の安定した状態で育った子供は脳の発達もよく、自然にいい子に育っているということが証明されているという。 子孫の繁栄には生きとし生きるものの親の役目は自然にすばらしいものがある。人間は科学で証明されたように母のぬくもりが大切であるが同時に子孫の繁栄には人間の愛情なくしては起こらない。よき家庭、よき愛情に満ちたところに人口の増加もあるのである。宗教の信じ具合で変わるものでもない。愛のない家庭の子供は社会性に欠け非行に走りやすい。 人間はやがて死ぬ。 その死まで愛情をもっておくることは人生の最後として大切である。最後を迎えつつある老人には若き日の思い出、特に、楽しかったこと、感謝すること、幸せな人生だったことを話すことで臨終に安らぎを与えることができる。 以上のことは買うことも、貰うこともできない。自分でそのように考え、心の中に愛を育てようという意志の力が役立つのである。反対の悪い心である怒り、怨みはよい影響を他人に与えるはずがない。現代社会は物質的にも科学的にも人間の英知で便利で、生活が楽になり文明は完成に近いすばらしい発達を成し遂げてきたが、果たして人間は幸せになったのであろうか。 世界で自殺者が増えていることは心のさみしさの表れである。教育の大切さは言うが心の中にある愛・慈悲を育てることを忘れている。現代人は(1)すべてのことをよく知っている。(2)こころからあふれ出る愛情に欠けている(3)知識欲(物質的・科学的)のみで愛情の教育が忘れられている。 科学の進歩 この科学の進歩が人間の為になれば問題ないが破壊に使われたら危険になる・・恐ろしい事件の多発(9.11ニューヨーク・テロ)クローン人間も出きるように科学は進歩したがこれを利用する人間の心により悪い方向に利用されれば人間に不幸をもたらし、危険である。これらの技術をよい心で行使するような心の教育は疎かにされてはならない。 反戦運動 平和について:戦争は何故起きるのか・・・人間の悪い心の力が戦争を起こしているのであり、愛の心を高めること以外に戦争をなくすることはできない。暴力は人間にとってよくないことである。この原点にたって反戦運動は起こされるべきである。 国と国、大陸と大陸は依存関係がもっともっと大切なってきている。南北の貧富の格差、人間の苦しみを救うものは、人間同士の会話、歩みより、思いやり、すなわち、心の勇気=愛ほど相手を理解する為に役立つものはない。一人一人の考えを心の勇気をもって行動することにより争いは防ぐことができる。 戦争の終り 21世紀は、会話の時代、最初にやるべきこと核の排除、次いで武器の排除を一歩一歩何時の日か実現し、そして心の中の武器の排除をしない限り未来はない。自分のまわりにあるもので満足する心を築き、資源の保護、環境破壊に思いをいたし、広い世界の一人ひとりの人間の責務が大切になってくるのです。それが慈悲の力でありこの力が世界に平和を導く力になるのである。 「Power of compassion」「Rule of compassion」 平成15年11月1日 両国国技館にて
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参考背景:共産中国のチベット侵入、15歳の国家元首第2次世界大戦後、チベットに隣接する中国で国共内戦が勃発し、それはチベットにとって、未曾有の悲惨な運命の幕開けを告げるものとなる。1949年、内戦に勝利を収めた共産党の人民解放軍が自国内を掌握すると同時に、隣国チベットへ侵攻を開始すると、いまだ弱冠15歳の法王は、法王としての政治上の全権限を一身に帯びるよう朝野をあげて懇願され、1950年から国家指導者としての役割を担うことになる。1954年、法王は北京へ赴き、毛沢東をはじめとする中国の指導者らと和平交渉を行う。しかし、中国との国境地帯にあたるチベット東部は、たちまち人民解放軍によって席巻され、数多くのチベット人が命を奪われた。ダライ・ラマ法王は、和平交渉に懸命の努力を重ねてきたものの、圧倒的軍事力を誇る中国側の強硬姿勢の前に、全ては空しい結果となる。 |