〜教育の基本は徳育、知育では国語、歴史〜

 神道は日本の宗教の母胎であり、幹である。つまり日本人に生きる規範、価値観を与えていると思いますが、次に教育について論じていただきたいと思います。

三好: 教育の基本は徳育です。安岡正篤先生は、「人間には本質的要素と付属的要素がある。知識、技能は付属的要素であり、あればあるに越したことはないが、あるなしは程度の差に過ぎない。これに対し、本質的要素とは、これを失えば人間でなくなるというもので、それが徳性である」と説かれています。

 教育の中心は人間を育てることにあり、それは人間の本質的要素、徳性を育むこと、徳育こそ教育の要と思います。教育は、人間の縦の営み、つまり先程の縦軸、いわば人格の引継ぎであり、親や教師は、そういう気持ちで教育に当たることが求められるのです。

田中: まったく同感です。教育は国の根幹ですが、戦後教育は一方的に知識を詰め込むだけで、人間を育ててこなかった。その弊害が今日の混迷に現れています。尊敬するある先生が「教育とは加減と段取りを教えるものだ」といわれたことがあります。そこから先は、自らが体験し実感して自分自身を高めていくしかない。

 そして人間を育てる根幹はおっしゃるように道徳であり、つまりは徳育です。それを育む上で重要な役割を果たしてきたのが、家庭、学校以外では、我が国においては鎮守の杜であり、地域の共同体でした。

三好: まさにその通りで、だから私は、「人は生まれながらにして義務を負う」と言っております。「人は生まれながらにして自由である」というのは、フランス大革命のスローガンであり、また戦後教育のなかで盛んに教えられてきたものであります。自由はもちろん大切でありますが、先程述べた天地自然の理に従えば、「人は生まれながらにして義務を負う」ということも真理なのです。

 人は、祖先という縦軸と一緒に生きる人々や自然の恵みという横軸のお陰で生きているのですから、それに伴う義務が生じるのは当たり前です。生かされている自己を自覚すれば、自ずから自分がどういう行動をしなければならないか、分かってくるはずです。それは、父母をはじめ祖先を大切にすることはもちろん、信義、協調、礼儀、慎み、奉仕、忍耐、自己犠牲などの徳目の実践です。

田中: 「人は生まれながらに義務を負う」とは、いい言葉ですね。昨年(平成二十二年)十月三十日、全国の神社では、教育勅語渙発百二十年のお祭りを斎行いたしましたが、いま挙げられた徳目は教育勅語と一致しますね。しかも勅語が尊いのは、天皇さま御自ら実践するとおっしゃっているところです。

三好: そこが尊いところ、国民に押し付けようとしてはおられないのです。

 本誌昨年十一月号で、教育勅語渙発百二十年に寄せて京都大学の中西輝政先生が、教育勅語が渙発された頃と現代は、時代状況が似ていると指摘されています。

三好: 当時、欧米化が無批判的に進み、道徳が退廃していたという点では、まさに今日と同じですね。関係者のご尽力により、平成十八年に教育基本法の改正が成就しましたが、旧基本法には、道徳や愛国心の文字すらありませんでしたから、戦後の教育が荒廃したのは当然でした。

 知育として大事なのは、国語教育です。国語こそは縦と横のコミュニケーションに不可欠のものです。国語力が弱ければ、伝統や文化、歴史を学ぶ能力は低下しますし、語彙が少ないことは思考能力の低下につながります。国語はあらゆる知識吸収の基礎であり、論理的思考の基礎でもあります。

 私はよく冗談で、「君は何語で夢を見る?」と聞くんです。私は今でも英語の試験で苦しめられる夢は見ますが(笑)、英語で夢を見ることは出来ません。夢は必ず日本語で見る。特別な才能を持ち、特別な訓練を受けた人は別かも知れませんが、一般的にいえば人間は母国語でしか考えることができないのです。逆に母国語で考えることができなくなったら、母国の民族としてのアイデンティティーを失ってしまうおそれもありましょう。

田中: 言葉は言霊ですから、それが国語のなかに表れなければ、つまり借物の言葉では、民族の精神は伝わっていきません。数学者の藤原正彦先生も、数学よりも国語教育が大事だとおっしやっています。

三好: 国語と共に大事なのが歴史ですね。自分達のご先祖様が、どのような生き方をしたのか、どんな考えを持っていたのかを知ることは、まさに人格の引継ぎ、民族の心の引継ぎに関わってくるものであり、祖国愛につながります。

田中: 戦後教育では、日本の先人たちがまるで人格破壊者といわんばかりの自虐教育が横行してきましたから、祖国愛が育つわけがありません。

三好: 歴史には光と影がありますから、その両方を教えるべきと思いますが、影ばかり強調してきたのが戦後教育でした。米国の占領下で、教科書に墨を塗らされた世代もいまや七十五歳です。三世代にわたって戦後教育を受けてきているわけですから、その影響力は深刻です。

国民を目覚めさせよう

三好
: そう考えると、ときに暗澹たる思いに囚われそうにもなりますが、そういうときに、私は、佐藤一斎の「心は現在なるを要す」という言葉を思い起こします。まだ見ぬ未来や過ぎ去った過去に心を捉えられるのではなく、いまの一時を大切にして最善を尽せということです。

田中: それもいい言葉ですね。神道の根本精神にも「中今(なかいま)」の思想があります。本来、日本人は現実逃避をしない民族です。いま、生かされているこの一瞬一瞬を精一杯生きて行くことが大切です。

現実逃避ばかりしているのが、今の民主党政権のように思います。

田中: 現政権は、国益や国民の安寧ということはまったく考えていないと思います。ただ自分たちが理想とするイデオロギーを実現したいだけで、そのために国がどうなろうが、国民がどう不利益を被ろうが関係ないんですね。平成二十一年の総選挙では、一度民主党にやらせてみたら、という空気がありましたが、やらせてみた結果がこうですから、もう二度とやらせてはいけません。

三好: 民主党の議員の全部とは申しませんが、その多くは、国家観が欠如しているのではないでしょうか。鳩山前首相のように「日本列島は日本人だけのものじゃない」といったり、「尖閣諸島に中国が上陸してきたら話し合います」などと寝ぽけたことを言っているのでは話になりません。外国人参政権付与や夫婦別姓制度の推進などは、我が国を破壊に導こうとしているとしか思われません。

 しかし、忘れてならないのは、そんなどうしようもない政党の国会議員たちを選んだのは国民だということです。なぜそのような選択をしたか。もちろん自民党の体たらくもありますが、おそらくマニフェストに惑わされたに違いない。何とか手当とか、何かを無料にするとか、目先の損得に惑わされた。

 つまり、国民にも国家観がない。国民が国家というものの大切さを考えないで投票してしまった。ですから、何年かかるか分かりませんが、国民をまともにさせていく、立ち直らせていく営為を怠ってはならないと思います。

田中: そのためには、自分が日本人であるということをまず認識させることですね。つまり日本人の本来もっている心、精神を引き出す運動が必要だと思います。

  いま、全国各地で、日本会議のメンバーが、尖閣事件について街頭で訴えたり署名活動をしております、若い人が署名をしてくれたり、声をかけてくれたりする傾向がこれまでと違う手ごたえとして報告されています。若い世代が国の危機について目覚めつつあるのではないでしょうか。

田中: 神社に参拝する若者も増えています。家族連れも多い。神宮など爆発的といってもいいくらい参拝者が増えています。そして神社関係者の意見が一致しているのは、若い人たちの行儀がいいということです。たとえ風体は破れたジーンズをはいたりしていても、鳥居前では一礼するし、ご神前に行くまできちんと並ぶ。

 
なぜ、いま若い人たちの参拝が多いかというと、スピリチュアル・ブームで、雑誌がよく神社特集を組むのだそうです。そしてそこには参拝の作法も書いてある。その作法を覚えてきているわけですね。

三好: 作法を守るという外形から入るのも大切ですね。

田中: 日本人はまず形から入ることが多いのですね。

三好: パワースポットとか流行っているそうですね。明治神宮の清正の井戸など大変な人気らしいですね。

田中: ええ、連日行列だそうですが、肝心のご本殿まで行かずに帰る人もいるらしい。せっかく来たわけですから、参拝だけはしっかりやってほしいものです。ただ、何がきっかけであるにせよ、神域に足を踏み入れてくれるのはありがたいことだと思います。そういう機会をできるだけ持ってほしいですね。

 いま神社本庁では、駐日の大公使を、神宮さまにご案内しています。先日はアメリ力のルース大使もいらっしゃいました。そういう外国の要人たちが、神宮に参拝すると、共通した感想をもたれるようです。皆さん、芳名帳に記帳するときに、一言感想を添えられますが、それを拝見すると、「この社には何かある」というような趣旨のことを、書かれているんですね。

三好: さすが、一国の大使となる方だけのことはありますね。

田中: 鋭敏な感性をもたれていますね。トインビーやブルーノ・タウトもそうでしたね。
      http://www.ichinomiya.gr.jp/IkiRenaissance/ikihtm/HeiwaJinja.htm

 1昨年でしたか、ビートたけしさんも初めて神宮に参拝して、感動していました。

田中: あの番組の放映は、反響がすごかったそうです。日常はそのような敬虐な気持ちを忘れていても、何かきっかけがあれば、その感性をパッと蘇らせることができるのが日本人なんですね。筑波大学の村上和雄先生がおっしゃるように、眠っていた遺伝子がオンになる。そういうきっかけづくりをすることがこれから一層大切だと思います。冒頭申しましたが、これから神社界は言挙げして、どんどん発信していくことが必要だと思います。

 日本人のあるべき姿を国民皆が共通意識として持つこと。そういう国民運動が必要で、その意味でも、日本会議に対する神社界の期待は大きいものがあります。

三好: 多くの国民を目覚めさせる、これこそ日本会議の使命ですね。平成十八年に、教育基本法の改正が実現した頃から、日本会議の存在感がより増してきたように感じています。日本会議の会員の皆さんには、一人一人の国民を目覚めさせていく実践力をもった会員であってほしいと願っています。

情報源: 日本の息吹(平成二十三年一月号)