各 位
春暖の候 貴台にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
壱岐の《しまづくり》についてお伝えしているメールマガジン『壱岐しまづく
り通信(vol.16)』をお届け致します。
【今回のテーマ】
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◆壱岐の“しまづくり”に関する最新情報をお知らせしています
@一支国トピック 弥生人モデル募集結果
A壱岐しまづくりの未来を語る!開催のお知らせ
B長崎歴史文化博物館で開催される壱岐の企画展について
C建設準備ニュース(BREATH)第3号発行
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【壱岐の歴史ワンポイント講座】
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◆『魏志』倭人伝のクニグニ 8
中国の正史「三国志」の中の『魏志』倭人伝(『ぎし』わじんでん)に記され
ているクニグニの様子を、記述をもとにご紹介しています。
今回のテーマは、《邪馬台国の女王・卑弥呼》と《邪馬台国の外交》について
記述をもとにご紹介しております。
弥生の先人にとって卑弥呼とはどのような存在だったのか、また邪馬台国は、
当時の中国や朝鮮半島の国とどのような外交を行っていたのか、太古の壮大な歴
史ロマンに思いを馳せながらお読みください。
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年度末を迎え何かと気忙しいことと思いますが、時節柄体調を崩しやすい時期
ですので、ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。
◆2010年春、壱岐の新たな歴史がはじまる◆
⇒http://www.pref.nagasaki.jp/pre-iki/
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長崎県文化・スポーツ振興部 文化施設整備室
E-Mail:s19020@pref.nagasaki.lg.jp
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壱岐しまづくり通信(vol.16) 壱岐の【しまづくり】の動きについて、様々な情報をお伝えするメールマガジンです。 【一支国トピック弥生人モデル募集結果】 博物館のメインコーナ−である『一支国トピック』に展示する弥生人模型のモデルを、壱岐市民の皆さんから募集したところ、定員30名に対して42名の方から応募がありました。応募された皆さんの顔が、弥生の一支国の生活風景の再現の中に登場しますので、お知り合いの方や壱岐ですれ違ったあの人が、モデルとして一支国トピックで暮らされているかも知れませんよ!開館の折にはぜひ博物館にお越しいただき、模型を一つ一つ確認してみてください。 一支国博物館では、このような取り組みを通して、皆さんと一緒に“楽しみながら学ぶ”“感動・発見を体感できる”博物館を創り上げたいと考えております。今後ともご期待ください。 ◆ 一支国トピックとは… 原の辻遺跡をはじめとする島内の弥生時代の遺跡から発掘された実物の資料をもとに、弥生時代の「一支国」の様子を象徴的な7つのシーンに分けてジオラマ化して再現し、来館者の方々に紹介するコーナーです。 【壱岐のしまづくり情報】 ◆ “壱岐のしまづくりの未来を語る! 〜しまごと博物館・大学・元気館の実現に向けて〜 ”4月19日(日)10:00〜12:00 【於:壱岐文化ホール(壱岐市郷ノ浦町)】しまづくりのコンセプトである『しまごと博物館・大学・元気館』の実現に向けて、現在壱岐市で取り組んでいる官民一体となった作業の状況や、来年春の壱岐の姿について、熱くご紹介します。壱岐市民の方だけでなく、どなたでも参加できますので、皆さまのご参加をお待ちしています。 ◆ 長崎歴史文化博物館企画展“ 邪馬台国への道壱岐の島(仮称) ”6月26日(金)〜7月26日(日) 【於:長崎歴史文化博物館(長崎市)】平成22年春の壱岐市立一支国博物館オープンに先立ち、長崎歴史文化博物館において壱岐の企画展を行います。一支国博物館で展示予定の数々のお宝を、オープン前にご覧いただけるチャンスです。 ぜひ【長崎歴史文化博物館】にお越しいただき、壱岐で発見された数々の至宝をご覧ください。長崎歴史文化博物館ホームページURL⇒ http://www.nmhc.jp/(年間スケジュール→企画展と進み、“2009 年度”を選択してください) ◆ “壱岐市立一支国博物館・長崎県立埋蔵文化財センター建設準備ニュース”第3 号発行開館まで1年あまり(平成22年春開館)と迫った一支国博物館や埋蔵文化財センターに配置される施設の名称や機能などを、イメージパースによって分かりやすくご紹介しています。今春発行予定の第4号では展示について、今秋予定している第5号では収蔵品についてご紹介する予定です。どうぞご期待ください。 ※【壱岐のしまづくり情報】については、今後もこのメールマガジンなどで随時お伝えします。一支国トピックは博物館1 階の常設展示室にあります一支国トピックイメージ図 再現されるシーン ○湾と漁労のシーン○船着場のシーン ○市(交易)のシーン○日常生活のシーン ○農耕のシーン○弔いのシーン ○祭祀(政:まつりごと)のシーン このメールマガジンは、県・市の職員や壱岐市観光協会、壱岐市内の事業者など、様々な方に配信しています。よろしければ、お知り合いの方などに転送していただければ幸いです。 【発行日:平成21年3月31日】 【お問合せ先】 長崎県文化・スポーツ振興部文化施設整備室内 壱岐しまづくりプロジェクト推進会議事務局 e-mail:s19020@pref.nagasaki.lg.jp HP:http://www.pref.nagasaki.jp/pre-iki/ 今回は【女王・卑弥呼=ひみこ】や、「邪馬台国」と「魏(当時の中国の王朝)」との外交について、中国の正史『三国志』に記されている「魏志倭人伝」をもとにご紹介します。 【邪馬台国の女王・卑弥呼】 卑弥呼が女王になったころの様子について、魏志倭人伝には「その国※1はもともと男子が王位についていたが、国の成立から70〜80年たったころ、倭国全体が歴年におよぶ戦乱状態(いわゆる倭国大乱)になった。そこで諸国は女子を共立して王とした。その女王が卑弥呼である。」と記されています。 ※1 邪馬台国を指すという説や、倭(当時の日本)国を指すという説がありますまた、卑弥呼については「鬼道によって統治していた。年をとっても夫を持たず、弟が政治を補佐していた。 王となってからは人前に姿を現さず、千人の侍女に囲まれおり、ただ一人の男子が飲食の世話や取次ぎのために出入りしていた。宮室や楼観、城柵は厳重に設けられており、常に武器を持った人が守衛していた」と紹介されています。卑弥呼の鬼道による統治について、原文では「鬼き道どうに事(つかえ)、能よく衆を惑まどわす」と記されていることから、卑弥呼は巫女みこ(シャーマン)のような存在で、邪馬台国は原始的な呪術国家であったとする見方がある一方で、卑弥呼は神事を司り、実際の統治は弟が執り行う二元政治であったとする見方もあります。 なお、卑弥呼の死後については「卑弥呼が死ぬと直径百余歩もある大きな冢ちょう(墳墓)が造られ、奴隷100人が殉葬された。その後、男子の王が立てられたが、人々はこれに服さなかたったため内乱となり、1000人が死んだ。そのため卑弥呼の親族で13歳の少女・壱与=いよ(台与=とよ) ※2が王に立てられた。」と記されています。 ※2 原文では壹與(壱与の旧字)と記されていますが、薹與(台与の旧字)の誤記とする説もあるため、ここでは併記しています 【邪馬台国の外交】 「魏志倭人伝」には、景初2年(238年)※3以降、数度に亘って帯方(たいほう)郡(ぐん) ※4を通じて魏と使者を交換し、魏の皇帝から【親魏倭王=しんぎわおう】に任じられたり、数々の下賜品を贈られたことが記されています。また、魏に対して邪馬台国と敵対関係にあった狗奴国との抗争について報告などもしていたようです。 ※3 使者の派遣された年について、原文では景初2年(238 年)と記されていますが、景初3年の誤りだという説もあります ※4 帯方郡:朝鮮半島統治のために置かれた魏の役所238年:卑弥呼が奴隷や献上品とともに使者を派遣し、魏の皇帝に拝謁(はいえつ)を求めた悦んだ皇帝は卑弥呼を【親魏倭王】とし、金印(きんいん)紫綬(しじゅ)を授けるとともに下賜品を与えた 240年:魏から邪馬台国に使者派遣 243年:邪馬台国から魏に使者派遣 245年:魏から邪馬台国に黄幢(こうどう)(黄色の旗:軍旗)を下賜 247年:邪馬台国が魏に狗奴国との抗争を報告し、魏から使者が派遣される このころに卑弥呼が死去し、倭国は再度内乱状態になった 270年ごろ:女王についた壱与(台与)が晋(しん) ※5に使者を派遣 ※5 晋:魏から帝位を譲り受けた司馬炎(しばえん)によって建国された中国の統一王朝(265〜316 年)この朝貢を最後に、413年※6まで100年以上にわたって中国の歴史書に『倭』関係の記事が見当たらないため、その後邪馬台国がどうなったのか、日本でどのような出来事が起こっていたのか分かっていません。そのため、この期間は【空白の1世紀】とも言われています。だからこそ余計に“邪馬台国”が私たちのロマンをかきたてるのかもしれませんね。 ※6 648 年(唐の時代)に編纂された史書(『晋書=しんじょ』)に、倭の五王の一人・讃(さん)が413 年に当時の東晋王朝に使者を派遣したことが記されているが、讃がどの天皇にあたるのかについては確定していない次回はこのコーナーをお休みし、4月に発売予定の“旅する長崎学11 海の道T 壱岐編”をご紹介します。テーマ:『魏志倭人伝=ぎしわじんでん』のクニグニ8【壱岐の歴史ワンポイント講座】その8−8 |
各 位
秋冷の候 貴台にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
壱岐の《しまづくり》についてお伝えしているメールマガジン『壱岐しまづく
り通信(vol.13)』をお届け致します。
【今回のテーマ】
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◆第2回シルクロード講座
11月22日(土)〜24日(祝)にかけて、壱岐市にて開催される『第2回
シルクロード講座』についてお知らせしています。
シルクロード講座とは、古代ロマンあふれる壱岐の“歴史”・“文化”・“自
然”・“新鮮な食材”を【まるごと】体感できる特別企画で、しま全体をフィー
ルドとして訪れた方に壱岐の魅力を【しまごと】楽しんでいただけるよう、市民
と行政が一体となって、皆様を“おもてなし”します。
皆様のご参加をお待ちしています。
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【壱岐の歴史ワンポイント講座】
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◆『魏志』倭人伝のクニグニ 5
中国の正史「三国志」の中の『魏志』倭人伝(『ぎし』わじんでん)に記され
ているクニグニの様子を、記述をもとにご紹介しています。今回のテーマは、邪
馬台国(やまたいこく)論争の始まりのクニである「不弥(ふみ)国」と「投馬
(とうま)国」です。
倭(わ:当時の日本の呼称)のクニグニと大陸・朝鮮半島との交流・交易の歴
史の中で、弥生の先人たちはどのような暮らしをしていたのか、太古の壮大な歴
史ロマンに思いを馳せていただければ幸いに存じます。
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朝夕は意外なほど冷え込む日があります。
風邪などひかれないように、お体には十分お気をつけください。
◆2010年春、壱岐の新たな歴史がはじまる◆
⇒http://www.pref.nagasaki.jp/pre-iki/
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長崎県文化・スポーツ振興部 文化施設整備室
E-Mail:s19020@pref.nagasaki.lg.jp
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