この試練を次の勝利へ
会国消防操法大会5位入賞
石田町消防団の健闘を観戦して
東京雪州会幹事長 牧 山 康 敏
第十九回全国消防操法大会が八日、横浜市の横浜国際総合競技場で開かれた。長崎県代表として出場した壱岐市石田町消防団第二分団第三小隊(山崎地区)は残念ながら優勝は逸したものの、健闘して小型ポソプの部で五位入賞を果たした。その石田チームの健闘振りを報告する。 当日は壱岐市から長田徹市長、山口壮三県議、瀬戸口和幸市議会議長、赤木英機、眞弓倉夫の両市議会議員、重家酒造代表の横山省三氏らが早朝から競技場入りして役員・選手団を激励。また石田町消防団(団長梅田鉄男氏)団員やその家族ら五十人以上が駆けつけ、熱心た応緩した。
地域住民の生命や財産を守り、地域の防災に励む消防隊員の任務は年々高まっている。特に今年は十月の新潟県中越地震や台風二十二、二十三号による大被害が相次ぎ、その役割が一層見直されてきた。今大会の主催者や来賓の挨拶でもこの点が強調され、「災害列島日本」を守る気概が、出場全選手の競技の随所に見られた。
会場は二年前に世界のサッカーファンを熱狂させたワールド・カップ決勝戦が行われた横浜国際総合競技場。選手の競技状況が両サイドに設置された大スクリーソに大写しされ、全国九十三万人の消防隊員の代表が技を競うには最高の舞台だ。午前九時前に始まった開会式で石田チームは石田町消防団副団長の久原芳文、旗手の松田忠和、指揮江口正弘、脇田亘、脇田良司、平田征史、補欠赤木真選手らが堂々入場、壱岐人の心意気を示した。
小型ポンプの部では二十三チームが出場し、石田は午後で十六番日の登場。石田消防団は第十七回大会(二年に一度開催)以来の出場だが、今回は消防関係者では優勝の呼び声も高かったという。梅田団長は競技前「代表に決まった昨年十月以降、仕事を終えてから毎日欠かさず夜遅くまで練習してきたし、やるべきことは全部やった」と自信を示し、赤木市議も「前回は十二位だったが、今回は三十九秒台で優勝を狙える力がある」と拳を握り締めた。昭和五十七年に芦辺町消防団がポソプ事部門で優勝して以来の快挙への期待も膨らむ。
必勝の鉢巻を締め朝から各チームの競技を見詰める長田市長も「今年の石田はかなりいけそうですよ」と期待。その上で消防団の役割について「仕事の傍らボラソティアで活動しており、市としても壱岐の消防団活動には積極的に支援したい」と語る。午後一時半過ぎ、石田チームの登場。四人の競技は順調に進んだように見えるし、応援席でも「大丈夫。問題ない」との声。競技数分後に石田の成績発表。場内放送とスクリーソで「タイム三十九秒八四」のアナウンス。競技を終えた十六チームで最高のタイムで三十九秒台は初めてだ。誰もが勝利を確信した。そして次の瞬間「総合評価八十八点」のアナウソスに誰もがわが耳を疑い、息を呑んだ。点数が伸びない。「間違いでは!」・・・。総合点ではすでに高知チームが九十二点」、富山県チームが九十一点を挙げており、石田優勝の望みは消えた。引き揚げてき た選手たちも肩を落とした。選手の一人は何故点数が低いのか「分からない」という。
しかし応援席では、大きな拍手で選手の健闘を称えた。「ご苦労さん、よくやった−」。壱岐市が一丸となって横浜の地で応援した光景は素晴らしい。選手の家族の女性は「夜遅くまで練習してよく頑張りました。ご苦労様とねぎらいたい」と目頭を押さえた。
無念にも今回は優勝の女神に見放された。神様が次の勝利への試練を与えたものと考えたい。石田町消防団第二分団第三小隊の選手の皆さん、私たちに大きな感動と夢を与えてくれて有り難う。今回の無念さをバネにさらに練習を重ね、新たな夢の実現に向かって健闘してほしい。そして胸を張って帰島してくださ一い。堂々の五位入賞だ。
剣豪・宮本武蔵は剣の極意を著した五輪書でこう書いています。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能能(よくよく)吟味有るべきもの也」と。何十年もたゆまず鍛錬を重ねてこそ真の技が磨かれるということでしょう。
操法を披露する石田町消防団の選手たち
※写真は竹富鉄一雪州会副会長撮影
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