壱岐国ルネッサンスのきっかけとなった「タナガオ神社」
もう一つの壱岐國一ノ宮神社=興神社
全国−の宮会インターネット ホームページへのメール ◎壱岐国−の宮天手長男神社での事が気になり、検討して頂きたいと思っての事です。11月3日に壱岐に到着して、早々に位置関係を調べた上でと思い天手長男神社に向かいました。地元の方に教えられ無事に着きましたが不在でした。それでも再三お電話したのですが、応答が有りません。電話帳を調べ同じ住所で同じ姓の方(恵子さん)があり、お電話したところ「柳田に居ませんか。」とのこと。観光旅館の方のお話では「同じ道筋の住吉神社で一緒に管理されているから住吉神社へ行かれた方が良いですよ。」とのこと。翌日、住吉神社もお参りしたが不在‥‥‥。 様々手を打って、住吉神社の神職と連絡は取れたが、全く関係は無いとのこと。フェリーの事も有り、3度目の天手長男神社行き。やはり人の気配がしない。 思い余って社務所らしき扉を開け、声をかけ、「ハイ」との声で御朱印帳を取りに行き、見ると這いつくばって震える両手で朱印と神社名のゴム印を持ち、「調子が良くなく、悪いがご自分で捺して下さるか・」と言われ、初めて御朱印をお借りして自分で押した。」「筆で日付も書いてください。」痛々しいお姿で、口頭部には直径10センチくらいの大きな手術跡、お歳を尋ねると82歳との事。少し立入った事も聞き、毎日のお勤めや作務の事を尋ねると「氏子の人達が掃除に来てくれている。」との事。神社も哀れなお姿で、昔の平屋建ての公営住宅を黄色に塗ったような。 御朱印を頂きに来た自分が非常に悪い事をしたような思いにかられました。きっと電話の受話器を持つ事が出来なかったのでは、神を守って来られた方にしては余りに目に余るお姿。誰かシルバーフォンを設置するようにしたり、世話をする人がいないのか。そんな事を考えながら、後味悪く次の−の宮へ巡拝に向かいましたが、フェリー欠航のアクシデントもあり、無理せず休暇を貰い帰路に着くことにし、長門国住吉神社と周防国玉祖神社に寄りました。 |