壱岐国一の宮「タナガオ神社」

 祭神は天照大神の長男天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を主祭神としている。日本書紀に天照大神は長子の天忍穂耳尊の千五百秋(ちいいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は私の子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)就(い)でまして治(しら)せ。さきくませ。賓詐(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ』と言われ、稲の穂を手渡し、この国の国民の主食を稲と定め国家の」無窮の繁栄を約束された。

 副祭神の天うずめ命は天照大神が天岩戸(あめのいわと)にお隠れになった時に世の中が暗くなって皆が困った時に踊りを踊って神様たちが大笑いをした。その様子を聞いた日神様は、私はここに隠れているのにどうしてみんなは楽しそうにしているのだろうかと岩戸の戸を少し開けて外の様子をうかがった。

もう一人の副祭神の天手力男命(あめのたじからおのみこと)は、今少し開いた天岩戸の扉を押し開けて天照大神の手を取り外に出した力持ちの神であるという。と、こんな事が古事記に記された天照大神ファミリー的神様たちである。
記念詞の祝詞(のりと)に手長の事が記される。
 のりとに『天津高御座(あまつたかみくら)に座す天津日嗣(あまつひつぎ)を萬干秋(よろずちあき)の長秋に、天地日月(あめつちひつき)と共に平らけく安らけく御寿(みいのち)は田永(たなが)の御寿(みいのち)と油津磐村(いついわむら)の如く〜。』と記されているがこの、田永(たなが)が重要な意味を持つのであ
るが、壱岐には手長という神社が三社あり、その一杜の勝本町鯨伏本宮の手長姫神社の前方に『手長島』という小さな島がある。
手長姫神社の社史によると『棚郷(ダナゴウ』はモミ種を浸す川という事が記されている。水稲の育成に欠かせない神聖な水は豊
葦原の水穂国(壱岐)の祭祀に重要なものであった。 古事記に、天照大神が勅(みことのり)して『吾が高天原にきこしめす斎庭(ゆには)の穂(いなのほ)をもって、また吾が子(みこ)に御(まか)せまつるべし』とある。
壱岐の一の宮は全国の一の宮の筆頭
一の宮は全国のそれぞれの地域での重要な神社が一の宮として名前が上げられている。その全国の一の宮の中でも壱岐の一の宮の社格は一番高いとされる。これは、ご祭神が天照大神の長子であるからであろう。(つづく)
※島の科学第39号より