「3」 日本の中心地「大阪」で「一の宮フォト」・「日本68カ国一の宮巡歴記」の出版記念会を実施して、ついでに壱岐国ルネッサンスを発表する催しが計画されております。マスコミ・新聞社などへのPR効果が期待されています。
「1」壱岐ルネッサンス への決意 どのような道を、どのように歩くとも、いのちいっぱいに生きればいいぞ、(相田みつお) 故郷、壱岐を離れて、各地でご活躍の皆様、毎日のお勤めご苦労様です。私は、現在54歳です。高校を卒業して半年ほどで転勤をして、壱岐を離れ、十年間ほど、福岡の二日市で過ごした経験があります。近くに、大宰府、都府楼あとなど神社、お寺を休みの日に巡っていました。
口の悪い友人達から、もてないからそんなことばかりしているとさんざんにいわれました。それも事実でしたが、故郷を離れて、何か、ここに故郷を感じることができるような気がしたものでした。
30歳のはじめごろ壱岐に転勤になり、この福岡(二日市)の経験が、「島おこし」にと私を駆り立てました。大宰府さん(菅原道真)に負けない素晴らしい文化遺産が壱岐には眠っているということを感じました。事実、原の辻遺跡というものがありました。それと、古墳や神社、お寺など、ありすぎて、日本のどこよりも素晴らしいところです。
また、壱岐は神の島として、中世までは日本では確たる地位をもっていました。それは、離島であるにもかかわらず、「國」として存在していました。この素晴らしい、歴史遺産を観光資源と生かそうと考えました。 ご存知のように、観光とは、「國の光を見ること」と言われています。これは「占いです、易経(えききょう)という中国の古典から来ています。
観光の観とは,凝視すること、ただばくぜんとみるのではなく、よくよく見つめる、奥底まで見抜くことである、この卦は、秩序崩壊の時である(今まさにその時)しかし、こういう時こそ静思して、現象の奥底まで見抜かなければならない。そういう態度が本当に身につけば、徳となって人々を感化することが出来る。 中国、東洋思想のおくの深さに随分と助けられました。おかげさまで毎日が力いっぱい生きさせてもらってます。
この思いを壱岐の心ある人々と皆で共有することが出来ました。「壱岐國ルネッサンス」という形になりつつあります。
命いっぱい生きて、感謝と奉仕の心を持って島起こし、(国おこし)をさせていただいています。
[壱岐・占部より]
「2「「壱岐国」ルネッサンス「壱岐国愛の祭典」の意義 今、壱岐で進めております、壱岐国」ルネッサンス「壱岐国愛の祭典」につきまして、多くの方々のご支援をお願いいたしておリます。
その内容は、竹富様のホームペーシ(http://village.infoweb.ne.jp/~fwgd5322/HTML/TennoKoe.htm)に掲載の通り、壱岐を愛する多くの方々のご支援を仰ぎながら、より良い壱岐の姿を考え未来に向かって壱岐を光輝くような昔の壱岐国に復興したいという考えでおります。
そのためには、まず壱岐からその声を日本中に伝えたい、その端緒を「元寇の役で亡くなった、敵味方の区別無く慰霊を行い、御霊の安らぎを祈ることが大事ではないか。」という考えに至りました。
今さら、なにを元寇か?と思いでしょうが、壱岐の地で亡くなった方々の浮かばれない霊魂がまだたくさんさまよっていることを感じる人々がたくさんいます。その崇りに遭われて苦しんでいる人もいます。崇りとは恐ろしいものでなかなか退いてはくれません。その霊魂がいたずらして壱岐の四町が欲の引っパリあいをしているとさえ言われています。それも事実です。
苦しい時の神頼みということわざもあります。今回その神頼み仏頼りを行います。
幸い、この計画に多くの方々のご賛同を得て計画は着々と進んでいます。
国分寺の渡辺住職様は「このために私は壱岐国分寺に来たと思う、命を賭けてやります。」とはっきりと力強く宣言されました。
壱岐神社の後藤宮司様(壱岐神社会会長)も喜んで協力します。といわれました。
そしてその声(輪)は全国の一の宮や全国の国分寺にも届くことになりつつあります。
壱岐での読経や大祓いに合わせて全国でも行なうという計画で進んでいます。
壱岐が中心となって行います。私も、10年前より某放送局の通信員をして壱岐のホットな情報を生放送しています。
新聞社各社の駐在員や記者とも懇意に致しています。今月中にはこの計画のほとんどを(未定)部分を決定としたいと考えて日夜努力を重ねています。その暁には一声に新聞やテレビのこの情報を提供します。
歴史は繰り返します。壱岐は素晴らしい過去(原の辻遺跡など)があります。今回はここ「原の辻遺跡」でもイベントを行ないます。壱岐を愛する多くの方々のご賛同を切にお願いいたします 「壱岐ルネッサンス実行委員会」
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