郷ノ浦町から石田に向かい、永岡石油から右に上がり、「小春川」を過ぎて久喜の手前までと、ホタルの名所で知られている清水橋停留所までが平人地区です。戸数は43戸、公民館の行事では春と秋に「道作り」(3月・9月の第1日曜)が行われ、毎年1月11日は、平人地区をまわる「お経さん」という行事があります。 朝「円光寺」に6時半に集まり、般若心経を持って全ての家々を回るもので、先頭は「おしおいみず」(清めの水)をまきながら、公民館長、若頭の順番で各家に行く、迎えた家では御神酒の接待を出し、全てを回り終えるのは夕方になるそうです。 志原小学校の横にある、氏神さま『みさきと神社』は、「ヤツルギさん」と親しみを込めてよばれ、昔は子供相撲や青年相撲が行われていたので、男女の出会いの場所でもあったそうです。70年〜80年前には盆踊り盆綱引きは、地区以外に出張して行うほど盛んだったそうです。 平人触の山川靖史さん宅には畑の中に、島内最大の「エノキ」(幹囲5・96m・樹高14)があり、市天然記念物に指定されています。エノキはニレ科の樹木で漢名は朴樹…昔から一里塚や、神聖木として神社の境内に植えられてきた。…壱岐の諺(てーもん)に、「右にエノキ(榎)、左にエンジュ(椀)」、「東エノキに、西カイドウ」を植えると大吉で縁起木である。 山川家には諺通り両樹木があるが、家の人は諺を知らずに植えた。と、「郷ノ浦町文化財」の本に書かれています。国道を石田に向かい駐在所を過ぎ、カープに差し掛かると左上に大木が見えてきます。小学校前の「永岡石油」は、96年位前に釘山から来て店を構え、当時は造り酒屋を営み『永志』という焼酎を作っていたそうですが、その後小売業へと転換をしています。 この店の永岡武敏さんは、立山淳さんの「平和の集い」で紹介された人で、若い頃はバスの運転手で、労働組合の委員長も務めた人でした。 戦時中にはアメリカに4年いて、フィリピンでは山本五十六にもあった事があり、その後消息が途絶え家には戦死の通知が届き、村葬が行われたそうです。そこヘヒョッコリ本人が帰って来たので、皆んなキツネにつままれたよに驚いたそうです。 その息子にあたる永重公民館長は、「子供の永岡石油の前は田園風景が広がる場所でした。昭和40年代に埋め立てが行われる時に、角にあった石の標識をどうするかと話し合いが行われ、大切に残したいと意見が出たので、今の『宮原橋」たもとに置きまし。 年の初めに行う円光寺の「経さん」の伝統も残して行きたいです。止めてしまったら復活は出来なくなります」と、地域伝統の伝承の大切さを語りました。 |