一九四八年(昭和二三年)に旧制壱岐中学を卒業して五八年の歳月が過ぎ、在京クラス会の仲間も「喜寿」を迎える年齢となった。

例年開催の在京クラス会は、常連の六人が元気に顔を揃え、一年ぶりの生き様を確認し合い、故郷に暮らす級友の消息などに話題が集中し、壱岐の焼酎を懐かしく賞味しながら談笑の一時を過ごした。

来年の在京クラス会を「喜寿を祝う会」として開催することを申し合わせ、互いの健康を誓い合いながら散会した。※今回在京クラス会に集まったのは、大久保芳勝君、綾部賢君、川橋貫一君、広瀬隆一君、山口孝君、下條満君。

マッカーサー司令官はGHQ通達を出し人権確保の五大改革を幣原喜寿郎首相に五項目に渉っての見解を速やかに活動するよう表明した。その中の五項目の中に流行病、疾病、飢餓又は重大な災害を防止するため遺憾なき善処するよう指令したのである。次は追憶の一端である。

昭和十九年の夏頃のことである。戦時体制下で、上学年は学徒動員で大村市へ出動し塗炭の苫しみの中に国家のため奉公していた。学校でも中学生一、二年の生徒の一部は某溜池工事の奉仕作業に従事したことがある。炎天下ぼろぼろと流れる汗をふきながら頑張った。

昼食時、近くの有志のお計らいで一斗ぞうけ一杯山盛にしゃもじ三本と、つけもの(黄色い)をもってこられた。感謝の気持ちで空弁当につめていただいて夫々木陰でいただいた。忽ちのうちになくなり底をしゃもじでこすった。二人の生徒は空弁当をかかえて立っていた。近くの奥さんは親切にも急いで二人の空弁当箱を持ち帰りやっと充してくださった。私は学徒動員の残留生の一人として一緒に参加し世話をしていた。

"武士は食わねど高楊枝”と空弁当をさげながらへとへとしながら帰途についた。