一服どうぞ 裏千家前家元 千 玄室
「調和」で構成される日本
日本人は古くより自然とともにある。共生の喜びとでもいうべきか、自然がすべてという生き方をしてきた。山紫水明、そして気候にも恵まれた島国である。四季、春夏秋冬の変化、そして季節毎に移り変わる自然の景は美意識を養う。
土井晩翠が「み空の花世界を回っても、多くの国の風土がこのような姿ではない。日本人は恵まれた風土の中で生まれ育ったから、ともに一つになろうと、身の安全をお互いに守り、人との調和、譲り合い、の主たる米をつくるための耕作具や衣服など、主たる物は自然に方々から入ってきた。
「自然に」ということは隣国の人たちが古くより渡来し、倭人(日本人)とともに生活をしていたのを星といひわが世の星を花といふ」と言っている。
私はこの意味が星と花を単に結びつけたものではなく、天地四方の広大な思想を含んでいると思う。春には花が朕き、山々が萌える。夏にはホトトギスや蝉の声、そして山が踊っている。
秋には月や秋草が、また、山は錦で飾られ目を奪われる。冬は寒々とした中にも囲炉裏に火が燃え、雪で覆われた山は黙している。あらゆるところに清水が湧き、五穀豊穣に恵まれる。地震や山の噴火など天変地異はあっても、人々は清潔にゆったりと暮らすことができる。
世界を回っても、多くの国の風土がこのような姿ではない。日本人は恵まれた風土の中で生まれ育ったから、ともに一つになろうと、身の安全をお互いに守り、人との調和、譲り合い、助け合いを大事にする習性があった。
この国の姿を眺めてみると調和(ハーモニー)によって構成されている。すべてが混ざり合い、一体化し生かされている。古くはこの国が成り立つために中国や朝鮮の学や、食生活の主たる米を作るための耕作具や衣服など、主たる物は自然に方々から入ってきた。
「自然に」と「ということは隣国の人たちが古くより渡来し、倭人(日本人)とともに生活をしていたのである。
日本よりも古い歴史のある中国だから物の成立も古い。従って生活するためのさまざまな工夫が物を創り出す。言葉、文字も重要な一つであることは申すまでもない。言葉、文字もない古代の島、というより大陸と近い土地に住む倭の先住民は無より有を生み出すため、あらゆる手立てをもって渡来人と接した。
そして後に日本が国として生まれ育っていく中で、どうしても他との一体化、つまり調和を持たねばならぬという不文律が生まれる。日本はこうして調和からスタートしたのである。東アジアにおける古代日本(倭)は『漢書』において「百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」と記されている。
「楽浪海中」の表現は朝鮮半島と倭の間に海があること。「百余国」は小さな国というより族に区別された総称であろうか。
また、弥生人が漢字なる文字とどのように接したかは「漢委奴国王」の金印の存在などからも明らかであるが、まずわかりやすいことは、6世紀の仏教伝来である。『髄書』倭国伝は「守字なし、木を刻み、縄を結うのみ。仏法を敬い、百済に仏教を求め得て、初めて文字有り」と伝えられている。
もっとも、この仏教伝来以前から日本列島には文字は存在していた。ただ仏教により文字利用が増えたことは確かである。こうしてあらゆるものが調和されていく。日本の文化はいわば多様性をもつというこことである。(せんげんしつ)
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