一服」どうぞ 裏千家前家元 干玄室  一服どうぞ1月3日
     草原の国の日本への思い
 
7月から9月末までの約2ヵ月半、5カ国を訪問して帰国した。暑い夏に出発、帰国した日本はお彼岸も済み「暑さ寒さも彼岸まで」といわれてきたように爽やかな秋風が心地よく吹いていてほっとした。

 韓国、中国でそれぞれの会合や催しを済ませ、北の国モンゴルを訪問。来年モンゴルと日本の国交樹立40周年を迎えるにあたり、文化交流の催しとして派遣されモンゴル国家より迎えられたのである。大阪在住のモンゴル名誉領事の佐藤紀子さんの先導で
首都ウランバートルに入った。

 北京から約3時間かかったが時差は1時間。砂漠とアルタイ山脈、そして青々とした草原、大自然の上を飛ぴ司馬遼太郎さんの『草原の記』を読んだ所々を思い起こした。「蒼天青緑」であるが、実際は蒼天はともかく泥濘(でいねい)の道なき道を走るのである。私は日本馬術連盟会長を務めアジアの名誉会長であることから、モンゴル馬術連盟会長や理事長からどうしてもということで、モンゴルの競馬を見ることとなった。

 といっても日本のようではなく、4歳ぐらいから12、13歳の子供たちが40キロを走り競うもので、伝統の騎馬民族の生活の一つになっている。その草原までたどり着くのに車で2時間以上かかった。どこまでもゲルの白い天幕がところどころに見え、牛、馬、羊、ヤギがそれぞれ飼育され、見渡すかぎりの草原である。ゲルの中に迎え入れられ、馬乳酒やチーズパンなどで歓迎された。

 子供たちはすでに40キロ先から駆走している。私たちより15分くらい前に到着していた。何と驚いたことには優勝が5歳の男の子、2位がその兄で8歳。後は12、13歳までの15人が競ったのである。裸馬でもちろん鞍もなく手綱も手製のもので、実に見事な人
馬一体の姿を見せてくれた。

 日本の
馬術連盟の選手たちに見せ、そして強化合宿などをさせたいと思った。生まれた時から生活の中で牛馬と一緒に暮らしてきた生き様を見せつけられた。まだ発展途上国である。

 厳寒マイナス約30度まで下がる中での草原の生活に、自然とともに生きる人間の強さを感じた。60年以上も前、日本軍の捕虜がソ連に送られれる途中モンゴルで2千人程が降ろされ収容された。そして使役で作ったのが今日も人民広場の横に立派に残っている
オペラ劇場である。


 
ソ連や中国の作ったものは既に撤去あるいは崩壊したが、日本人の手づくりが大切にされ残されたのである。モンゴル人の日本に対する好感は100%以上、ロシアや中国嫌いである。

 日本軍捕虜の多くの方々が残念ながら現地で寒さと飢えで亡くなられた。モンゴル人と日本人の協力で丁重にその方々が埋葬されている。そしてその場に
慰霊塔が建ち、捕虜の苦しみなどの残された史料写真が記念館に展示されている。
            日本人捕虜の御霊を見守ってくださっている活佛ダチェレンチェン和尚様



 
御霊の安らかからんことを祈り続けられていることはありがたいことである。

 最近、地下資源がどんどん発見さ各国が触手をのばし進出をうかがっている。大統領はじめ大臣方は、是非日本に手を貸してもらい経済交流と文化交流を広げ親交を深めたいといっておられた。

 一?(いちわん)のお茶の精神「和敬清寂=わけいせいじやく」を伝え、理解してもらうことによって日本の真の姿を知っていただけるのだと思っている。(せんげんしつ)

”墓標なき草原”にすべてがあります
内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 楊海英著 岩波書店