注:スペシャル・サンクス:背景画像は長岡秀星氏の四天王図、メッセンジャーエンジェルは中島光教氏のイラスト、わんぱくガール坪井賀子画伯のものです。多謝

わんぱくガール

心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても 神や守らん  菅原道真

 日蓮は「百姓等を、男をば殺したり生取にしたりし、女をば取り集めて手をとおして船に結いつけたり生取りしたりした。一人も助かった者はなかった。壱岐を攻め寄せたときもまた同じであった」と悲惨の状況を伝えている。

⇒恨みは恨みでは・・解決しない・・・永遠に・・・
「人はただによってのみしみは越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない(法句経〕」・・・と




惨い・酷い・むごいという言葉は「このときの惨状から出た」と壱岐国文明誌は伝えている
  

北条時宗廟
 国を挙げてこの難敵に当り、蒙古の大軍を撃退した時宗は、文永・弘安両役に殉じた被此両軍死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅道を弘めたいと願い、且つその師仏光国師への報恩の念から円覚寺の建立を発願した。

舎利殿・時宗廟
のハンマ・ラマ・ガンダン寺管長猊下

高野山に
 朝鮮人供養碑  勇猛島津氏の博愛精神          
 1599年6月 紀伊 撤兵の殿(しんがり)をつとめ,前年11月に朝鮮から帰国した島津義弘(65)・家久(24)父子が,高野山金剛峰寺(こんどうぶじ) 奥の院食堂(じきどう)の路傍に,いわゆる「朝鮮陣敵味方戦死者供養碑」を建立,戦没者の供養を行った。

 碑文によれば,1597年8月15日に全羅道南原(ぜんどうなんげん)表で戦死した明兵1500人と島津兵420人,同年10月1日に慶尚道泗川 (けいしようどうしせん)で戦死した明兵8万余人,たびたびの戦闘で討ち死にした味方兵士3000余人,さらに陸海で病死・横死(おうし)した数知れない者の菩提のためだという。

 島津氏は,勇猛の反面,博愛の精神に富んでいた。これまで,1526年・38年・68年・78年の九州における戦いのあとににも,六地蔵や頸塚(くびずか)を建て,法会(ほうえ)を行って敵味方の戦没者の霊をなぐさめてきた。

 現在,石碑の下部4隅が削られているのは,のち,この石碑を削りとって服用すれば諸病が治るとの話が広まったためという。



高野山管長”高野山を語る・・・サンデー毎日から(工事中)
ガンダン寺管長猊下以下3名、作家:郡順史氏、両忘庵USA大木宗完、モンゴル国駐日大使、入江孝一郎代表世話人、旧松浦藩主、同令夫人
スペシャル・サンクス【ご協力誠に有難うございました

         神仏習合の象徴  薬師寺に 八幡三神像が制作される
 この頃(900年) 奈良 薬師寺の別当栄紹大法師が宇佐神宮の八幡神を勧進し,寺の南に鎮守八幡社を建立した。さらに、応神天皇の化身である僧形八幡像を中心に左右に天皇の母の神后皇后像と天皇の妃の仲津姫命(なかつひめのみこと)像を配する八幡三神像が製作され、八幡社に祀られた。仏教信仰と日本固有の神祇信仰が融合・調和した神仏習合は,平安時代に入ると、仏はかりに神の姿となって現れるという本地垂迹説を生み出し、阿弥陀如来の垂迹は八幡神、大日如来の垂逆は伊勢大神と考えられるようになる。八幡三神像は仏教と八幡信仰との習合を表現したものである。薬師寺の八幡三神像は、いずれも檜の一木造(いちぼくずくり)神聖視された同一の材から木取りがなされており,その点,空海が指導して作製した東寺八幡三神像と同じである。(P160日本全史)

のだろうか?・・・

世界初の神仏習合による元寇の役”敵味方犠牲者”鎮魂・慰霊・・・
壱岐国(一支國)地球平和祈願メッセージ

宇宙へ

・・・”あなたの心が平和であれば 地球に平和が訪れます・・・と”ギリシャ正教メテオラ修道女

・・世界宗教、融合・共生の21世紀・・宗教の動き

人間の心は、この地上において宗教のみが支配できる領域であって、政治的強制という根棒で意志を踏みにじって、そこへ侵入を強行することほど人心を離反させるものはないからである。(アーノルド・トインビー著歴史の研究)
キリスト教
 イスラム教 ヒンズー教」 仏教神道

新ローマ法王誕生
「ベネデイクト16世」

(参考:アーノルド・トインビー著「歴史の研究15巻世界教会」 & アインシュタイン神を語る”宇宙的規模の宗教。”から)
アインシュタイン 宇宙的宗教の意義を語る
歴史 宗教 科学 環境の全てが有機的に結び、国難回避の道が開けますように!!
ヨハネ・パウロ二世の遺言」・・キリスト教以外の宗教への理解が語られている
1980年サンピエトロ寺院で地球平和を祈り箏を演奏された日本女性(巡拝会員)
参考・・
伊勢神宮参拝・お伊勢さん ・・・世界宗教者平和会議日本委員会  IARF  に期待する

・・・・・キリスト教の普及以来、ヨーロッパはもちろんのこと、世界の大部分からこのような人間精神の自然に即した精神生活は消え去ってしまった。ヨーロッパの苦悩はここに根ざしている。Toynbee!・・・・・

アインシュタインが大正12年日本を訪問したときの言葉

・・・日本は個人主義はごく僅かで、法律保護は薄いが世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。この尊い日本の精神が地球上に残されていたことを神に感謝する。


・・・私はいつもこの広い世界のどこかに、一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、最後には闘争に疲れる時が来るだろう。このとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない
トインビーのキリスト批判
愛は、人をして「人を助けしめる精神的高揚」であり、この精神において人格性は超出され神と人間とは一体となる。・・・・・・キリスト教の普及以来、ヨーロッパはもちろんのこと、世界の大部分からこのような人間精神の自然に即した精神生活は消え去ってしまった。ヨーロッパの苦悩はここに根ざしている。
発句経
人はただによってのみ憎しみは越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。ない(法句経〕」
ダライ・ラマ法王14世
「人間は、人とのつながりを身近にする愛情がなければ幸せに過ごすことはできない」と語りかけ、「愛と慈悲、すべての人のことを考える思いやりは、一人ひとりが持つべき重要。宗教を信じるかどうかに関係のない真実」と説いた。
(平成15年8月訪日講演から)



史上最大のお別れ
ローマ法王葬儀「要人200人 信者200万人 2005.4.8

情報源:NHK BS中継放送の一部

注1
・・・日本は西洋の文物を広く受容したが、その精神的支柱たるキリスト教は、一部の知識人に影響を及ぼす程度にとどまった。多重信仰という日本人の伝統ゆえか、一神教の教義はは国民の間には定着しなかったのである。


日本近代史の重要な歴史的意義は、グリフィスの期待とは逆に、キリスト教国民だけが文明の民になれるという神話を打ち破った点にあったといえよう。(産経新聞地球日本史30から一部)

注2
・・・さて、「異教徒」にキリスト教の神の福音を伝道するという強い使命感をもって来日したグリフィスは、平生は日本人の文化的伝統や生活習慣を、公平な深い理解と温かい愛情をもって観察しているのだが、宗教問題となると、いささかその見解は不寛容になる。

東京の浅草見物では、欧米のキリスト教教会と異なる日本の仏教寺院の聖俗混沌とした雰囲気に違和感を覚え、ときには強い拒絶反応を示す。浅草寺の不潔で騒々しい本堂の中では、とても敬虔な気持ちにはなれないとし、寺から出ると「僧侶の寺にとじこめられた息苦しさから神の栄光の限りない創造の自由への変化の何とうれしいことか」。…心の中でキリスト教の信仰生活が生き生きと活動しだすのがわかる」と述べている。

コメント
西洋キリスト文明から見た異教徒の寺院に対する感覚は今も、昔も本音においては同じではなかろうか。真に対等な立場に立った為政者たちの異教徒に対する寛容の心と姿勢が問われてもいよう。

オトタチバナヒメの入水の絵 走水神社納

第二回目の訪日(1956年、第三回目は1967年=ご夫妻で参拝)の時伊勢神宮を参拝。貴重な写真

「Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.」
「私は、ここ、聖地にあって、諸宗教の根源的統一性を感じます」と訳せる、この一文をめぐって縷々思いをめぐらさずにはおられない。(情報源:人間と文明の行方 日本評論社 トインビー100年記念論集 P-250〜)
人々の心が平和であれば 世界に平和が来ると・・・。世界遺産メテオラ修道女


        国際連合