・・・保されるや、反米ナショナリズムは一挙に沈静化した。70年安保とは、日米の一方が1年前の事前通告により条約の自動廃棄を司能とする改定であったが、この時には安保闘争らしきことは何も起こらなかった。60年安保闘争が反米ナショナリズムの一時の甘えでしかなかったことの証左である。 慙愧(ざんき)に耐えないのは、反米ナショナリズムの沈静化と同時に第9条改正をめざす自主憲法制定へのエネルギーもまた萎縮してしまったことである。安保改定の成功が憲法改正への意気をも阻喪(そそう)させて、自立への構えは保守陣営からもふうと消え去ってしまった。 漂流のすえの反国家思想 この間、昭和40年を前後する頃からベトナム反戦運動が多少の高まりをみせたが、日本は戦争の当事者ではない。戦争の惨禍が自国に及ぶことなどありえないという無意識の前提があっての安逸なる反戦運動であった。後に北ベトナムの指導者自身がこの戦争は共産勢力による南北統一戦争であったことを証言しても、反戦運動で名をなした知識人のすべてが頬かむり、まことに不誠実な反米ナショナリズムであった。 冷戦崩壊を前後する頃からにわかに頭をもたげてきたのが、歴史教科書、従軍慰安婦、南京虐殺、靖国参拝などの「歴史認識問題」である。自虐の情念の矢は米国にではなく自国の歴史に向けられ始めた。冷戦崩壊により敵が消滅し安んじて自虐の情念を噴出させることができるようになったのである。恐ろしきかな、情念の噴出はついに国家の指導者をまで巻き込んでしまった。座史教科書に関する近隣諸国条項、従軍慰安婦問題についての河野談話、戦後50周年に際しての村山談話などがその端的な事例であり、自虐史観は「制度化」の段階にいたった。 そして民主党政権は、冒頭の3つの法案に象徴される反国家思想の「制度化」を開始したのである。戦後65年、漂流をつづけてきた政治思想の帰結が国家解体の思想だというのであれば、日本の再生を願う者は「維新」を唱導し始めるかもしれない。(わたなべとしお)2010.8.4 |