産経新聞平成25年(2013年)8月17日 土 .母と子の未来 日本子守唄協会理事長 西舘好子 「心が育つ場所」なき現代の子供 芋虫が道を横切ろうとしていた。母親は子供の手を引き、立ち止まると芋虫が道を渡りきるまでじっと待っていた。「いつかこの虫はきれいな蝶になりいっしょに遊んでくれるよ」。母は子供にそう話しかけた。その思い出は後の浜田広介を童話作家へと導いた。 母親の影響はその子の一生を左右する。どんな生き物にも「命」がある、と暮らしの中で教えられた子は優しさを識るだろう。また、小さな生き物や動物の命は人より短命なことを知り「死」を目の当たりにして子ははかなさや哀しさを感じるはずだ。子育ての基本はそれを自然に身体で感じるようにすることだ。それも衣食住のある家庭という場所にあってこそ教え伝えられることではないかと思う。 成績優先、学業優先…学歴社会の今、「人間の心が育つ場所」がすっかり欠落してしまっているのではないだろうか。母親の口からは「忙しい」「疲れた」が出るだけ、父親はすっかり管理社会に組み敷かれている。笑いや話題を共有できない、そんな家庭から愛や潤いが生まれるだろうか。両親や兄弟とのスキンシップも地域や親戚とのつきあいもない、話題さえ見つからない。 家族が何を考えているのかさえわからない、いや、興味が持てないほど心が渇いている。家という建築物はあっても家庭という居場所は創れなくなっている。子供にしても、帰れば待っているのは夕食代の五百円玉ひとつ。「それが私の家」。誰も自分を待っていない寂しさから子供にぎやかな町に出る。都会の雑踏には黒い手が待ち受けている。 女の子なら履いているパンツを売ればお金になるし、千円単位で覚醒剤だって手に入る。華やかさに誘われて街に出る子供は野獣の餌食だ。一瞬の心の隙で一生が駄目になるという意識を果たして親は認識しているのだろうか。 麻薬はやる、中絶はする、家には帰らない、それでも親は振り向かない。「べつに…私なんかがいなくたって」。まだあどけなさが残る娘が「おばさん、生きているの疲れたでしょう、生きてたってつまんないよね」。70代の私に向かってこともなげに言う。 子供が起こす事件のすべての予防薬は「健康な家庭」である。とりわけ母親の存在がどれほどその子の一生に関わってくるか、その根本が今この国から抜け落ちている。朝の挨拶や帰ってきたときの「おかえり」。母の言葉と笑顔は子の母港となり故郷になる。 子供の非行、犯罪、薬中毒、虐待から救い出せるのは、母と家庭という心の薬以外ないのだ。母子家庭や、保育園の待機児童が増え、母親を取り巻く社会はまだ未熟だ。それなら家でできる仕事や経済システムを根本から見直すことの方がより必要だ。 母よ、今一度家庭という事業に立ち戻ってほしい。判で押したような良妻賢母を期待しているのではない。人生の根になる愛情や絆を作る時期を自分が担っているという親としての自覚、そしてそれを表現できる家庭を作り上けることこそ、人間が人間にしかできない仕事だと知ってほしい。 子供は親を選んで生まれてこない。だからこそ、この親の元に生まれてきてよかったと感じさせるのは親の使命だ。その心がきっと次世代を創っていくだろう。 〈にしだて・よしこ〉昭和15(1940)年、東京都生まれ。3女の母。58年、劇団「こまつ座」を結成し、座長兼プロデューサーとして活躍。現在はNPO法人「日本子守唄協会」理事長として、子守唄の普及啓発、伝承のほか、母と子の絆の大切さや子育て支援に関する活動を行っている。 |