共生の時代を生きる 「ありがとう」 と伝えよう

そのひとことが人生を豊かにする

話し方研究所会長
福田健さん


現代は、言わなければ伝わらない時代


「『ありがとう』のひとことで、人生をより豊かにすることができるんですよ」と語るのは、話し方研究所会長の福田健さん。研究所では、主催する講座で聞く力・話す力のスキルアップを長年指導していますが、最近は、社会全般で高いコミュニケーション能力が求められる時代となり、ビジネスに生かそうとする受講生が増えているそうです。

「かつての日本には『暗黙の了解』『以心伝心』といった無言の文化がありましたが、価値観が多様化した現代の社会では、話さなければ何も伝わらなくなっているんですね」福田さんは、話さなければ分かり合えない時代だからこそ、「ありがとう」という言葉を大切にしてほしい、と言います。

「例えば、職場で部下がお茶を入れてくれたとき。黙ったままでいるより、顔を上げて部下を見ながら『ありがとう』と言ってほしいですね。『ありがとう』はあまりにありふれた言葉なので、あえて口にするまでもないと思いがちですが、人間は誰かの役に立ちたい、認められたいという欲求を持っています。『ありがとう』と言うことは、相手を認めているという意思表示でもあり、それが相手を喜ばせることにつながるんです」

衣食住など、物質的な欲求がある程度満たされている現代社会では、こうした精神的な欲求が満たされているかどうかが、その人の幸福感を左右すると、福田さんは言います。

そして、ある受講生のエピソードを話してくれました。彼は「機械の故障で生産ラインを緊急停止しました」と知らせに来た部下を、思わず「何やってんだ!」と叱責してしまい、後悔したというのです。本来なら、まず「知らせてくれてありがとう」と言ってから、事情を聞くべきだった、と。

「どんな場合でも、まず相手を認め、相手がしてくれた行為に対して感謝していることを伝える。それだけで、人間関係はよりよい方向へ向かうはずです」それは、身近な家族に対しても当てはまることです。

子どもが学校でいじめられているのではないか、と心配する母親が、何も話してくれない子どもに「こんなに心配しているのに、何で話してくれないの」と迫るのでは、子どもを責めているだけで、何の解決にもならない、と福田さんは指摘します。

「家族というのは遠慮がないので、つい責めてしまいがちですが、親が一方的に詰問すれば、子どもはよけいに心を閉ざしてしまいます。こうした場合は、『何かあったら話してね』と話しやすい雰囲気づくりに努め、子どもが話してくれたら、まず『話してくれてありがとう』と伝えてから本題に入ると、ぎくしやくせずに済むでしょう」

「遅かったな」「何度言えば分かるんだ」「何やってんだ」「今頃分かったか」…。家族や子ども、親しい友人などには、ついつい感謝より非難する言葉が先に出てしまう。こんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。そこを「精一杯やってくれたね。ありがとう」「分かってくれてありがとう」と、まず相手のことを認め、理解する姿勢を示すことで、お互いの関係は間違いなくよい方向に進むというのです。

「あリがとう」と言い合い感謝と喜びを共有しよう

しかし、「ありがとう」の大切さは理解していても、照れもあって、「今さら」と口にすることをためらってしまう人が、とりわけ男性には多いのではないでしょうか。福田さんがこんな実例を話してくれました。認知症の母の介護を妻に任せきりにしながら、一度も感謝の言葉を言ったことがない夫の話です。

出張先から電話をかけてきても、母の様子は聞いても、自分にはねぎらいの言葉一つない夫に、とうとう妻は不満を爆発させ、離婚に至ったというのです。内心では感謝していたという夫は、をぜ「ありがとう」とひとこと言わなかったのかと、後悔しているそうです。

「相手の立場を思いやって口にする感謝の言葉は、言われた人に、『よし、頑張ろう』という新たな意欲をもたらす原動力にもなるんです。恥ずかしがらずに、自然に言えるよう心がけてほしいですね」

逆に、母親からいつも「お前は雑だ」と小言を並べられ、「うるさいをあ」と思っていた人が、仕事でミスを重ねたため、何事も丁寧に心を込めて行うように心掛けたら、ミスがなくなって周囲の評価も変わり、褒められるようになったという例もあるそうです。

「その人は、あのとき母の言葉に反発するのではなく、『いつも注意してくれてありがとう』と言えたらよかったのにと、当時を振り返って反省していました」このように、苦言にも感謝すべきことはあるので、相手への感謝の種はいくらでも見つかるはずだと、福田さん。

ただし、大切なのは、言葉に思いを込めること。「ありがとう」に限らず、「すごくうれしい!」とか、「今日は誘ってもらってよかった」など、その人らしい表現に実感を込めれば、感謝の気持ちは十分に伝わります。

「すると、言われたほうもうれしくなって、幸せを感じる。そうした幸福感の連鎖が社会をよくしていくんです。日々を気持ちよく暮らすために、私たちはもっと『ありがとう』と言い合って、感謝と喜びの心を共有したいものですね」


ふくだ・たけし
昭和11年山梨県生まれ。36年中央大学法学部卒業。42年言論科学硯究所に入所し、話し方運動に参加。58年に「話し方研究所(C.N.S)」を設立、所長を経て現在は会長。話し方、聞き方の研究・指導・啓蒙にあたるとともに、コミュニケーション、リーダーシップ、人間関係などをテーマに、官公庁や企業で講演活動を行っている。

著書は「女性は話し方で9割変わる」『「場の空気」が読める人読めない人』『子どもは「話し方」で9割変わる』『上手な聞き方・話し方の技術』など多数。http://www.hanashikata.co.Jp