書簡抜粋 警察予備隊創設に「同意」 占領期に隠れた対米チャンネル 横浜終戦連絡事務局長・鈴木氏とアイケルバーガー中将の往復書簡発見 戦後、横浜終戦連絡事務局長として占領軍との折衝にあたった鈴太九萬公使が、米第8軍司令官として占領軍でマッカーサー連合国軍最高司令官に次ぐ地位にあったロバート・アイケルバーガー中将と交わした往復書簡の写し約100通が発見された。 鈴木氏個人が保管していたもので、中将の帰国後約3年8力月にわたって講和後の安全保障をめぐる日本側の意向などを詳細に報告していた。占領期の隠れた対米チャンネルの解明につながる史料といえそうだ。(渡辺浩生〕3面に「外務省活用」 往復書簡は、横浜を司令部に全国の占領軍を指揮した中将が離任・帰国した昭和23年8月に始まり、サンフランシスコ講和条約発効を翌月に控えた27年5月まで続いた。同封された中将の発言を報じる新聞記事や「機密」としたメモ類を含めて約400ページに及ぶ。 遺族が大阪経済法科大学の内海愛子徳任教授に寄贈した鈴木氏の関連文書から見つかった。書簡の一部は、アイケルバーガー氏の文書を保存する米デューク大にも残されているが、全文がまとめて明らかになったのは初めて。 注目されるのは、自衛隊の前身、警察予備隊創設など安保構想を先取りするやりとりがあることだ。中将は米国内での講演を通じて、共産主義者による騒乱に対処するため約15万人規模の警察軍創設を主張。 24年8月には陸軍省顕間に就任、首脳らにも進言した。鈴木氏は23年11月23日付 で、同年4月に大阪や神戸で発生した在目朝鮮人による騒乱事件を例に「現行の警察力ではそのような事態に十分対処できない」という吉田茂首相の不安を記し、「彼〔首相〕は、日本の讐察力を強化すぺきだというあなたの見解に全面的に同意する」と伝えた。 当時、マッカーサー元帥は「非軍事化」の占領方針」に反するなどとして警察軍創設案に反対だったが、陸軍省でも検討が進められ、25年7月朝鮮戦争への駐日米軍投入で生じる軍事的空白を埋めるため元帥自ら7万5千人の警察予備隊創設を指令するに至った。 鈴木氏はまた、講和後の安全保障に関する日本側の認識を間う中将に25年4月18日付で機密メモを送付。「国民の大多数は米国による防衛を望んでいる」と米軍駐留への世論の支持を伝えた。鈴木氏の残したメモには、事前に吉田首相や中西熊雄条約局長に相談したとの記述がある。 一方、中将は一米国には日本の助けが必要であり、両国の安全は切り離せない」(同8月25日付〕という吉田首相宛てメッセージを託した。盟年1月の講和交渉開始を控えて、再軍備に慎重姿努の首相に自衛努力を促したとみられ、鈴木氏は翌月「首相に伝えた」と報告した。(肩書は当寺) |