平成17年(2OO5年)8月4日
一面から続く
歴史の自縛 ・・・戦後戦後60年・・・
検閲知らなかった国民
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、二十年十月二日付のSCAP(連合国軍総司令官)の一般命令第四号に基づくもので、GHQ民間情報教育局が主体となって実施した。同命令の趣旨は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」。「太平洋戦争史」連載も「真相はかうだ」放送も命令に沿ったものだった。
ノンフィクション作家の保阪正康は、これらのGHQ製記事や番組について、「日本政府が国民に知らせず、隠蔽していた歴史事実を明らかにした『功』の部分もある」としつつ、こう言う。 「そこで示された史観の発想やトーンは東京裁判の起訴状や判決文と見事に符合する。戦後のさまざまな昭和史記述の本もこの史観を下敷きに、なぞっている」 戦時中の言論統制もあって「情報」に飢えていた日本人は、GHQが計画的に与えた米国製の歴史認識を吸収し、これが「歴史の真実」として定着していった。
二十一年にGHQの諮問機関メンバーとして来日し、日本の労働基本法策定に携わったへレン・ミアーズは著書『アメリカの鏡・日本』(GHQにより日本では発禁)の中で、占領軍による検閲に疑問を呈している。 「私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲してきた。だから、政治意識の高い日本人から見れぼ、日本の教科書の『民主的改革』は、私たちが、意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカ人の国家意識を入れ替えるにすぎない」 GHQは「東京裁判批判」「検閲制度への言及」 「占領軍が憲法を起草したことに対する批判」など三十項目もの掲載発行禁止対象(表参照)を定めた検閲指針を定め、厳しくメディアを取り締まった。国民は検閲を受けていることすら知らされなかった。 検閲は発禁・発行停止を恐れる側の自主規制へとつながっていく。原爆投下への批判や占領政策への注文を掲載していた朝日新聞は、二十年九月十八日に二日間の発行停止を命じられた。 民間のシンクタンク、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫によると、朝日は二十二日付の社説では、それまでの報道姿勢を一変させ、「今や我軍閥の非違、天日を蔽ふに足らず。(中略)軍国主義の絶滅は、同時に民主主義化の途である」と書くようになった。
明星大教授の高橋史朗は、GHQのプログラムの目的について「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、
侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし、戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本入への『マインドコントロール計画』だった」と指摘する。むろん、GHQによる「罪の意識」の刷り込みがいかに巧妙であっても、二十七年四月の独立回復以降は日本人自らの責任であり、他国のせいにはできないという意見もある。「だました米国とだまされた日本のどっちが悪いか、という話。だいたい、歴史観の間題で、だまされたという言い分が通用するのか」現代史家の秦郁彦は、占領政策を過大視することに疑間を示す。一方、ジャーナリストの櫻井よしこは、目本人が戦後、自らの責任で東京裁判史観を軌道修正できなかったことを反省しつつ、こう語る。「二度と他国の謀略に敗北し、二度と自国の歴史、文化、文明、価値観、立場を理由なく否定されたり、曲げられたりすることのないように、しっかりと歴史を見ていくことがこれからの課題だと思う」(敬称略)