会説 夫婦間の言葉づかい お互いをいたわり.合って 会友なら日々の朝起会で頻繁に耳にし、普段何気なく使っている「主人」という言葉。これには夫への深い敬意が込められている。主人は主(神)が元であり、日本人にとっては、絶対的な服従を強あるじいられる奴隷が、主に対して使う言葉という認識はない。 しかし現代にあっては、何となく抵抗感を覚える若いご婦人もおられるだろう。それでも慣れれば、それが本来だと思え、心もこもるようなる。朝起会の演談とは、言葉によって心を正せる、とてもありがたい場だといえる。 Aて若いママ友同士が公園で雑談に興じる際、無意識に、そして気安く使っているのは「ダンナ」であろう。ごく親しい昔からの友人との会話なら構わないのかもしれない。しかしダンナとは、「そこの若旦那!」等、ちょっと落語の世界か、何となく男をおちょくって呼ぶ時に使う言葉だ。 戦前の女性で、自分の夫のことを「うちのダンナが……」などと言う女性はほとんどいなかった。ダンナという言葉には、他人が言う場合はともかく、自分の夫を指す場合、親しみはあっても尊敬の念などは入っていない。 今、夫のことを、外で「主人」と呼んでいる女性はどれくらいいるだろうか。日本の伝統を重んじ、倫理的に生きることを志す女性であれば、やはり「主人」という呼び方をすべきであろう。夫を「主人」と呼べるのはこの世に妻だけなのだから。 あくまでケース・バイ・ケースだが、人様の夫のことを話す時にも、相手への尊敬の念を持って、きちんと「ご主人」と呼びたいものだ。このような言葉遣いは、別に大したことはないと思われるだろうか。 しかし、見る人から見れば、育ちの表れ、まさに「お里が知れる」もの。一方、夫が妻のことを外で言う場合は何がいいか。現代語の「女房」はやや卑しめたニュアンスを持っ。妻なら「家内」あるいは「カミさん」と呼ばれたいのでは? 「家内」という言葉には、「家の内(中)のことは妻に仕切ってもらっている」という感謝と敬意が込められている。ミさん」は、その名の通り、神様からの由来。「うちのカミさんが……」とは、「うちの神様が……」なのだ。 こんなひと言の言葉遣いにも、夫婦がお互いに相手を立て、いたわり合ってきた日の伝統精神が見て取れる。文化は言葉によって継承される。善き日本語を守り抜くことは、日本という国を護ることでもあると肝に銘じたい。朝起会という道場を戴くことに改めて感謝しつつー。 |