平成20年(2008年)11月30日日曜日
官に頼らぬ自立の精神=第二回テーマ「福沢山脈につらなる経営者魂」
元政府税制調査会会長で、慶応大学名誉教授の加藤寛さんが福沢諭吉の精神から日本再生の処方箋について語るBSフジ「加藤寛の烈々口伝」。11月28・日に放映された第2回の番組では「福沢山脈につらなる経営者魂」をテしマに中上川彦次郎、福沢桃介、松永安左工門という福沢門下の3人の起業家にスポットを当てた。加藤さんはフリーアナウソサーの中井亜希さんとともに日本の発展に貢献した3人の人生を紹介しながら、官に頼らない自立の精神こそが日本再生の鍵を握ると訴えた。11月30日午後1
時から再放送される。
中井「福沢先生の教え子たちが慶応義塾を卒業した後、どのように実業家として活躍し、近代化を支えたのか。今の時代のヒントがたくさんありそうだ」
加藤「福沢先生の教えは・ある意味で日本の精神だった。大いに今の人たちに知ってほしい」
中井「『福沢山脈』というのは何か」.
加藤「山脈は高い山が連なっているが、それぞれは独立した山だ。(福沢の門下生たちも)それぞれ勝
手に動いているが、全体としてうまくいっている。そんな意味を込めて『福沢山脈』といっている」
中井「大実業家たちがなぜ福沢山脈から輩出されたのか」
加藤「明治維新で文明の夜明けを迎え、西洋事情を知るようになったが、福沢はそれを日本に伝えてくれた。これをきっかけにみんなに日本を建国しようとの気持ちがあふれた。それが背景にあるのではないか」
中井「今回は福沢山脈から3人を選んでもらった。三井を再建した中・上川彦次郎、電力王と呼ばれた福沢桃介、そして電力の鬼、松永安左工門。この3人を選んだ理由は」
加藤「慶応義塾の山脈は広い。福沢諭吉は日本経済をどうしようかと考えていた。その観点から考えると3人は日本の工業をつくる中心になっていた」
中井「中上川の人生は漉濾万丈だ」
加藤「波欄万丈というよりも、日本の将来を考え、自分の仕事を考えていたことが大きい」
中井「おもしろいのは三井銀行内に工業部を設けたことだ」
加藤「工業が今後の日本の行く手であると考えた。福沢は農本主義を否定していた。それには批判もあろうが、工業が発展しないと農業も発展しない」
中井「最初は赤字が続いていた」
加藤「赤字でもこれから伸びていく産業に投資している。『将来何が伸ぴるのか』を発見する先見の明があった。日本に必要なのは投資だが、『ばらまき』をしている。ばらまきがいいのは一度だけ。将来の発展につながることに使わなくてはならない」
中井「桃介は非常に美青年だったという」
加藤「桃介は『人間は努力だ』と常に言っていた。だが、桃介をみると努力をした人とは思えない面がある」
.中井「株投資に目覚めるが、こうしたあたりは『諭吉』的でない」
加藤「病気で療養したが、寝ながらもうけることはないかと考えた。これは諭吉と似ている。諭吉も病気になったらそうしたのでは。桃介はもうけた金をすぐになくしたが、渡米したことがプラスになった。米国で電灯を開発したエジソンに会い、それが水力発電につながった」
中井「それでダムをつくろうと考えた」
加藤「ダムをつくって発電をするのは日本で初めての事業だった。だが、関東大震災で資金集めが難航した。そこで外国から調達しようと考えた。当時の日本は外国に信用はなかったのに乗り込んだ。最初は相手にされなかったが、何度も訪ねて説得して投資を引き出した」
中井「松永は生涯現役だった」
加藤「松永さんと会ったのは私が35、36歳のころ。眼光炯々(けいけい)とした姿に思わず頭が下がった。日本を引っ張った人だという印象が強かった」
中井「彼が選んだのは電力の世界だった」
加藤「最初は石炭商になり、福松商会という会社を起こした。このとき桃介を呼んで社長になってもらった。桃介と松永は親交を結んでいためで、桃介が木曾川で発電をやると聞き、松永は名古屋で電灯事業を始めた」
中井「松永の反対勢力は国だった」
加藤「戦時中、国家総動員法で民と間が設立した電力会社の国営化を進めた。松永はこれに反対し、官に敗れた。それで引退してしまった」
中井「しかし、そこで終わらなかった」
加藤「戦後の電力民営化では審議会の5人のメンバーのうち会長の松永だけが民営化を主張し、残りは国営化だった。しかし、反対を押し切って自分の案を通し、連合国軍総司令部(GHQ)も松永を支持した。この原動力は官僚に対する抵抗力だ。役人のいいなりで改革はできなない」
中井「加藤さんは国鉄の分割民営化を手がけた」
加藤「地域分割は松永が言っていたことから気付いた。松永は電力再編のため、9つの電力会社を独立させた。同じ考え方が国鉄にも必要だと考えた」
中井「日本が魅力ある国になるにはどうすればいい」
加藤「学問とは何かを教えなければならない。自分の欠点を補い、世の中に貢献することを学ぷのが学問だ。福沢はこう唱え、中上川も松永立も福沢の教えを受け継いだ、学問は国がやるものではない。規制ばかりする文部科学省がある限り、日本の教育は停滞し、社会主義的な考えがはびこる。これを早く突破しないと、本当の自由主義の国として発展できない。何とか福沢諭告を復活させたい」
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