鳩山首相に申す(情報源:産経新聞H22.3.11 桜井よしこ
法務省主導の夫婦別姓
「今国会で(夫婦別姓の)民法改正法案の成立に全力を傾注します」去る3月3日、選択的夫婦別姓制度推進派の集会に寄せたメッセージで千葉景子法相は強調した。福島瑞穂社民党党首も励ましのメッセージを送り、民主党の小宮山洋子衆院議員は「(夫婦別姓の)民法改正は私が議員になった目的のひとつ」だったと語り、法案成立への強い意欲を示した。鳩山由紀夫首相も2月16日、、「私自身は前から基本的に賛成だ」と述べた。

それにしても、女性の人権や人間の尊厳を旗印として掲げる民主党推進派勢力が、夫婦別姓問題の法案化のプロセスで見せた秘密主義や独断ぶりには、意外の感を禁じ得ない。千葉法相は、民主党内での議論を行わないまま、法案の概要を決定した。夫婦別姓法案を議題とした2月24日の政策会議の通知はわずかに前日に行われ、しかも政策会議は法案の説明だけで、議員らの意見表明は許されなかった。同法案について、民主党の意見集約は全く行われていない。にもかかわらず、千葉法相は5日の記者会見で、改正案を国会に提出したい旨、表明した。民主党の民主主義はいまや死にかけていると言ってよいだろう。

ようやく2月19日に公表された同党の民法改正の主要点は、@結婚後、同姓か別姓かの判断は、結婚前に決定しなければならず、その決定の変更は認められない。A別姓の場合、子供の姓を父母どちらの姓に統一するかは結婚前に決めておかなければならない。

つまり、@とAについて明確な決定をしておかなけれぱ、婚姻届も受理されないのである。B女性の再婚は、前の結婚解消の日から100日を経過して以降に可能となる。C嫡出子と非嫡出子の財産相続分は同一とする。D女性の結婚年齢を現行の16歳以上から18歳以上に引き上げる、などである。一連の改正がもたらす日本社会の変化は、後述する理由で、戦後の日本社会の負の変化と質的、構造的に重なっていくと考える。

日本人が体験してきた戦後の日本社会と日本人の変化は、よい変化ばかりではない。むしろ、年月がたつにつれて負の変化が際立つ。経済的には豊かになったが、社会倫理、道徳、教育などの水準は下がり、日本人は明らかに劣化してきた。理由ははっきりしている。日本人とその暮らし、家族生活の中に息づいてきた長所の多くが、無残にも切り捨てられてきたからだ。

GHQが行ったことは、日本の価値観を踏みつぶし、彼らが是と考えた社会制度を木に竹を接ぐように日本に押しつけたことだ。憲法を変え、家族の絆の在り方まで変えようとした。そのために明治民法の全面改正を試みた。現在、民主党が国会上程を目指す改正案はGHQがやり残した分野の改正を断行して、GHQの大目的を実現させようとするものだ。その試みは民主党の言う「政治主導」の形をとっている。
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しかし、歴史を繙とくと、GHQの大方針にいまだに忠実に従い、日本の全面改造を成し遂げようとしているのは実は法務省である。

原優(まさる)氏は、法務省において、長年、民法改正に心血を注いできた。氏が民事局・第三課長として1998年から99年にかけて書いた「婚姻制度等に関する民法改正について1備忘録」は、私たちに夫婦別姓及び関連法案推進の陰の主役が法務省であることを教えてくれる。原氏や法務省の民法改正にかける執念のすさまじさを物語る「備忘録」の内容をざっと見てみる。

まず、なぜ、明治民法の全面改正が必要か。氏は、現行憲法第24条が、婚姻及び家族に関して「個人の尊厳と両性の本質的平等」の原則を宣言しているのに、「家制度に立脚した明治民法には、この原則と抵触する規定が数多く含まれていたから」と解説する。そのうえで、昭和22年の改正は「必ずしも十分な内容のものではなく、将来における更なる改正を政府の宿題として積み残した」のが実態だったというのだ。

米国製憲法を主軸に日本を変えていく試みとしての家族法改正の動きを、原氏は以下のように整理してみせた。◎昭和29年7月、法相諮間機関の法制審議会に、「必要な民法改正の要綱」を諮問。法制審議会は民法改正についての調査・審議を目的に、民放部会を新設。検討結果は昭和30年7月及び34年6月公表、これは37年の改正につなった。

当時の焦点は財産相続についての改正だった。
◎昭和51年、55年、62年と配偶者の法定相続分の引き上げ、特別養子制度の新設など。
◎平成3年1月、法制審議会の民法部会において婚姻及び離婚に関する民法改正の全面的見直し作業を開始。ここで具体的に現在の別姓法案につながる動きが出てきたのだ。

民法部会長は加藤一郎成城大学学園長だった。氏は昭和44年から48年まで東京大学学長を務めた人物で、小宮山洋子氏の実父である。原氏は、夫婦別姓が「学問的な関心事」となったのが昭和30年代から、「一般的に」論じられ始めたのは昭和50年代から、と振り返るが、一般的な関心が30年前に高まったか否かは異論のあるところだ。だが、それが氏をはじめとする法務官僚らの感じ方である。

原氏、そして法務省の民法改正への執念は平成8(96)年、法制審議会民法部会の「民法改正法律案要綱」で結実した。これを同年の通常国会に提出すべく、法務省は関係方面との折衝を行ったが、さまざまな反対論があり、国会提出はできなかったと、原氏は振り返っている。右の96年の法務省の改正案が、いまの民主党案とほぽ同じ内容である。法務省の一貫した民法改正への動きを見ると、この改正案が各時代の政治家よりも、むしろ、法務官僚らの考えで推進されてきたことを実感する。再度強調すれば、それは米国が日本に与えた現行憲法の精神に合わせて日本の民法を全面改定するというものだ。

日本の文化・文明、価値観、すべてを、米国に都合のよいように変えようとしたGHQの日本改造計画に、戦後65年目のいま、それに歩調を合わせるのが民主党で有る。官僚主導の下で踊る鳩山民主党の、これが実態である。