150ぶりの普山結制式


郷ノ浦町渡良浦にある曹洞宗の寺院「嫦娥山・太平寺」で先月22日、「晋山結制式」(住職が寺に進む儀式)が150年ぶりに行われ、檀家などが見守る中を島内外の僧侶60人と、40人の稚児などおよそ200人が、小崎入口から寺まで行列し住職のお披露目が行われた。

普山結制式は、前日の旧太平寺本堂で行なわれ、「西堂老師御到着」(晋山結制式で、大導師の役目をする、西堂老師が本尊に到着の挨拶をする式)から始まり、本山の和尚から『大和尚』の位の任を受け新たに寺に入る際の儀式が行われた。

22日午前8時、入寺に際し身なりを整え初めて緋色(緋色の衣)を身につけ、太公望当主長島修宅の「安下処諷経」(あんげしようふぎん)で先祖の供養を行った後、ホラガイの合図で小崎入り口から、煌びやかな衣装に身を包んだ稚児と父兄を先頭に、僧侶と住職の大行列が海沿いの道を進み、沿道で待ち受けた人達が見守る中を太平寺へと入寺した。

本堂の儀式は、大本山永平寺御専使(山梨県・本光寺住職、小林孝道大方丈・大本山總持寺御専使〔長崎県壱岐の龍藏寺住職・植村秀輝大方丈)、長崎県第三宗務所長祝辞(長徳寺住職・瀬山豊弘方丈)の管長祝辞が行われた後、「晋山問答」で本尊に成り代わって法(仏の教えを説く尊い儀式)で、多くの和尚と諸問答が行われ、最後に新命方丈が緋衣を身につけ、大勢の方丈と檀信徒の各家先祖代々諸精霊位に対し、世界にひとつしかない壱岐歎佛「檀信徒総供養」が執り行われ、全ての儀式を終えた。

太平寺は、約487年前の享禄2年(1529)に当国主長島氏から支援を受け、如意山華光寺の末派で元は「宮浦山東岳院」といい、後に「中葉月光山太平寺」へと改称し、その後「安国山太平寺」へと変わり、明治6年頃から「太平寺」と渡良地区七ヶ寺が合併し「嫦娥山太平寺」となり、現二十六世にいたる。

今回の晋山結制式は、約15年間太平寺に勤めた二十六世・大久保康平和尚の任命式が行われたもので、住吉の「龍養寺」の長男として生まれ、15歳で豊川閣妙厳寺・本山永平寺で修行を含め22年仏の道に仕えて来た。

大久保和尚は「晋山結制式を迎え、これまで檀家様やご寺院の皆様方の暖かいお言葉やご協力があり、ここまで来ることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。支えて頂いた全ての方に『ご縁』と『おかげ』と『感謝』の心を忘れず、太平寺の檀信徒の皆様と共に心ふれあえる憩いの場所になるように頑張って行きたいと思います」と、喜びを語った。