鎌倉の鬼門の方向
円覚寺に
舎利殿を建立
1285年 鎌倉 1282年12月に無学祖元を開山として執権北条時宗が創建した円覚寺に,舎利を奉安する舎利殿が建立された。
執権北条貞時(15)は,円覚寺が鎌倉の丑寅(うしとら)の鬼門の方角にあることから,鎌倉の土地と北条氏を守護するため,北条氏一族の結合の中心であった円覚寺に舎利殴を建立したものである。安置された舎利は,源実朝が宋の能仁寺(のうにんじ)の仏牙(ぶつが)舎利を招来して,鎌倉の大慈寺新御堂に納めていたもので,それを円覚寺第2世住持大休正念(71)が移して安置した。
この舎利殿は,当初,祥勝(しようしよう)院といい,1335年には開山塔頭(たっちゅう)とされ,正
続(しょうぞく)院と号して重んじられる。しかし,この舎利殴は1563年の火災で焼失する。
現存の舎利殴は,その後太平寺の仏殿を移建したもので,室町時代につくられたとみられる。鎌倉時代に中国から伝えられた禅宗様(唐様=からよう)の様式が,華頭(かとう)形の窓や出入りロ,上下が急に細くなった粽(ちまき)とよぶ柱,弓欄間(ゆみらんま)などによくみられる。